アルフレッド・W. クロスビー『数量化革命--ヨーロッパ覇権をもたらした世界観の誕生』小沢千重子訳、紀伊國屋書店、2003年、215–251ページ。
第2部 視覚化--革命の十分条件
第9章 絵画
人間が絵を描く目的は知的・感情的欲求を満たすため、経済的利益を得るため、政治的・社会的・宗教的意図を表現するためと様々だが、それが変化するにつれて、空間そのものに対する見方や三次元の情景をに事件の画面上に表現する手法も変化した。
中世の絵画では、一枚の絵に明らかに時点の異なる複数の「現在」が描かれることがあった。「現在」は「ある程度の幅を持った鞍のような」概念だったのである。また一度に二つ以上の視点から対象が描かれたり、人物の身分や格といった重要度が人物の大きさで表現されたりした。そして何もない空間が無視されるなど、空間がそれが内包するものと同一視されていた。
西ヨーロッパの人々は、14世紀初頭にかけて次第に光学と幾何学を重視するようになった。当時遠近法は光を考察する幾何学の一部であった。また正確に絵を描くことは幾何学の範疇であると同時に、神の意思を伝える完璧な手段だった。
遠近法の発展に貢献した画家としてジョット・ディ・ボンドーネが挙げられる。ジョットの絵画はほとんどの場合単一の視点から見たある瞬間の情景を捉えており、特に立体的な表現で同時代人を魅了した。しかし彼の絵では二つの画像の前後方向の距離が必ずしもはっきりせず、また事物が複数の視点から描かれているものもある。実際彼の才能は経験によって培われたものであり、科学的な裏付けを欠いていた。14世紀末まで遠近法はさほど発展しなかったが、その理由は、幾何学的に正確な表現には、経験だけでなく理論が必要だったためである。
15世紀になると、西ヨーロッパ人は北イタリアの学者たちを介してプラトンの哲学に触れた。北イタリアの学問と芸術の中心は(アリストテレスを信奉する哲学者が多い大学ではなく)宮廷であり、そこでプラトン主義が優勢となった。マルシリオ・フィチーノは新プラトン主義運動の中心となったが、彼らは、数は「人間を実在に導く力がある」、「幾何学は永遠の実在を知るための学問である」というプラトンの信念を復活させる環境を整えた。
西暦1400年前後には、プトレマイオスの『地理学』の写本がフィレンツェに到来した。この書物では、格子を用いて曲面を平面上に幾何学的に正しく描くルールが提示されており、画家たちはこれを絵画に応用した。絵画術を数量的ルールに基づく技法とした功労者として、フィリッポ・ブルネレスキが挙げられる。彼が設計し建造を指揮したドームは彼が遠近法を理解するのに必要な幾何学の知識を持っていたことを示している。しかし彼はジョットと同様、自分の技法を説明する文章を残していない。
ルネサンス遠近法の発明者としてレオン・バッティスタ・アルベルティを挙げる者もいる。彼は『絵画論』で適切な遠近法を用いて絵を描く手法を説明している。画家と対象の間に薄いベール(その上に格子状に太い糸を並べられる)を置き、画家は(知っている事実ではなく)目に見えた通りの情景を、ベールの糸に対応する格子上の線を引いた平面に書き写すのである。しかし実際に目に見えた通りに描くのは難しく、画家たちは幾何学的な手法も習得する必要があった。
アルベルティはこれについても説明しており、正統作図法と呼ばれている。まず画面前景に人物像を描き(頭部が画家の目の高さ=地平線の高さに来るように)、その高さを三等分した長さをその絵画の数量的な構成単位とする。そして画面の底辺をこの構成単位で分割し、地平線上に「中心点」を決める。これは今日でいう消失点に当たる。そして中心点から底辺の分割点にそれぞれ直線を引き、それを垂直に横切る水平線を何本か引く。こうして画面上に格子状の線が現れるのである。アルベルティ以降数世代の西ヨーロッパ絵画の多くに、このような格子模様が下書き・下彫りされている。このように空間を幾何学的に捉える考え方は、ルネサンス期の前衛画家にとって強迫観念となっていたような印象さえ受ける。
こうして、空間に関わるあらゆる特性は、時間・場所を超越して均質・一様であると見なされるようになっていった。
西欧ルネサンスの基準を満たす写実的な絵、つまり幾何学的に正確な絵を描くために、正統作図法の実践者たちは恣意的な選択を強いられた。例えば片方の目で見た一瞬の情景を描いたり、水平方向に伸びる平行線が収縮するように見えることを無視したりした。
クワトロチェントが終わると絵画術は二つの支流に分かれた。一つはより芸術的な方向に向かい、16世紀のマニエリスム画派の歪曲された遠近法に変容した一方、もう一つはより数学的な方向に向かい、射影幾何学に変容した。このことからルネサンスの絵画術は恣意的な要素を持ちつつも、概ね光学的真理あるいは人々の現実世界の見方と一致していたと言える。
15世紀の絵画術は数学的傾向を強め、数学と融合する場合もあった。優れた画家にして数学者だったピエロ・デラ・フランチェスカの経歴はこのことを示している。彼の傑作「キリストの笞打ち」では、プラトン流に解釈されたキリスト教のシンボルが、数量的・幾何学的に表現されている。この絵の主要な画題と画家の目との距離を絵の構成単位で表すと、すべてが神秘的なπの整数倍になっているのである。この絵は遠近法がルネサンスを先導したという主張を明確に裏付けている。
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