アルフレッド・W. クロスビー『数量化革命--ヨーロッパ覇権をもたらした世界観の誕生』小沢千重子訳、紀伊國屋書店、2003年、253–283ページ。
第2部 視覚化--革命の十分条件
第10章 簿記
商人は西ヨーロッパ社会を資本主義に誘導し、ビジネスライクに行動する意義を人々に教えた。ビジネスライクとは注意深さと綿密さ、そして数字を扱うことである。商人にとっての数字とは金に他ならない。商人が携わる取引は様々な要素が複雑に入り組んでいたため、彼らは記憶に頼ってはならず、自らの数量化された営みを書き記して目に見える形に変えていった。
中世後期とルネサンス期の西ヨーロッパの商人は、商取引の嵐の中で暮らしていた。彼らは時々刻々と変化する商売の現状を把握するために、適切な簿記法を発明する必要に駆られていた。
中世初期には、受取勘定も支払勘定もなく、融資も滅多になされず、会計係もいなかった。また経済活動の主体は一人あるいは複数の個人で、会社に類する組織は存在しなかった。そして商人は行商人の域を出ておらず、帳簿も、決算するという発想もなかった。
10世紀以降は商人が扱う商品の量・品目・金額が増加し、また事業が共同で営まれるようになった。また会計処理が乱雑だと、返済が遅れて利子が累積する恐れがあった。さらに代理人を介した商取引において、主人への報告内容や形式が明確でなかった上に、会計処理が不正確だった場合誤解が生じた。こうして簡潔かつ正確に記録する必要性が高まっていった。
西暦1300年頃、イタリアの会計係の一部が、今日複式簿記と称される簿記法を用い始めた。14世紀初頭に資産と負債を別の欄に分けて帳簿がつけられ始め、その後専門用語や略語が作り出され、形式が整えられていった。
複式簿記の直接的な効用は、商取引を数字で正確に記録し、わかりやすく配列することで、激しく変動する経済情勢の諸要素を理解しコントロールできるようになったことである。しかし14〜15世紀のフィレンツェの商人には、簿記に正確さを求めたり、日を決めて定期的に決算するという習慣はまだなかった。
複式簿記の父と称されるルカ・パチョーリは、初めて印刷物の形で複式簿記を解説した人物である。彼の主著『算術・幾何学・比および比例全書』は、数学の様々な側面を網羅した百科全書であると同時に、商業算術の全てをわかりやすく解説し、貨幣と両替についても一節を割いているものである。この著作は1494年に初版が、1522年に完全な形での再版が刊行され、代数をはじめとした数学の様々な分野の目覚しい発展の礎となった。また簿記法を論じた一節である『計算および記録群論』は独立して各国語に翻訳された。
パチョーリは、商人がきちんと帳簿をつけることは、度量衡・通過・商習慣が異なる様々な都市の相手と取引するために、そして彼らとよいパートナーシップを保つために重要であると論じている。帳簿を正確につけるためには、まずいつ帳簿をつけ始めるか(財産目録を作るか)を決め、自宅と店舗の資産、倉庫の資産、不動産と預金、信用取引の状況を順に書き出す。その上ではじめて日々の帳簿付けに取りかかれる。
日々の取引について商人は覚書帳・仕訳帳・元帳の三種類の帳簿をつける必要がある(帳簿の全てのページには、破かれないように番号を振る)。覚書帳には全ての取引をできるだけ詳細に記録する。その内容を、仕訳帳に日付を付して転記するが、その際に瑣末な情報を省略して整理する。これをもとに元帳を作成するが、このとき複式簿記の技法を用いて事項を全て二重に記録する。項目ごとに仕訳帳の該当するページを記載し、資産を一方の欄に、負債を別の欄に転記するのである。元帳を決算するには、紙の左側の欄に借方勘定を、右側に貸方勘定を全て記入し、それぞれの欄を合計し、左右を比較する。総額が一致すれば会計処理が正確になされたと見なせるが、一致しなければ計算違いか記入漏れがあるか、不正な処理がなされたことになり、原因を入念に調べなければならない。
複式簿記を用いると、大量のデータをとりあえず保存してから配列・分析することができる。商業・製造業・行政に関わったルネサンス期のヨーロッパ人や彼らの後継者たちが、会社や行政制度を作って運営する上で、複式簿記は重要な役割を果たした。今日でもその枠組みはパチョーリの時代から変わっていないのである。
このようなヴェネツィア式簿記法は、全てをあれかこれかに峻別する二者択一的な思考様式を助長した。中世においては正確さは要求されず、事物を数量的に把握する必要性はほとんどなかったが、簿記法が日々実践されることで我々の思考様式に強大かつ広範な影響が及ぼされた結果、帳簿に適合するような形で世界が解釈されるようになった。
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