2017年3月1日水曜日

ヴェーラーの尿素合成にまつわる「神話」 Ramberg(2015)

Peter J. Ramberg, “That Friedrich Wöhler’s Synthesis of Urea in 1828 Destroyed Vitalism and Gave Rise to Organic Chemistry,” Ronald L. Numbers and Kostas Kampourakis eds., Newton’s Apple and Other Myths about Science (Cambridge, MA: Harvard University Press, 2015): 59–66.

 フリードリヒ・ヴェーラー(1800–1882)は、無機物であるシアン化アンモニウムから有機物である尿素が合成できることを発見した。それから数十年の間に化学者たちは、ヴェーラーの発見を、生気論の根絶および有機化学の誕生の印とみなすようになった。この、ヴェーラーの発見が生気論を打ち壊し有機化学を誕生させたという神話は、現代の有機化学の教科書の90%がそれに言及していることから、根強く残り続けていると言える。
 この神話は次の三つの要素からなっている。
(1)ヴェーラーは尿素を元素から合成した。
(2)この合成は有機化学と無機化学を同じ法則のもとに統一した。
(3)この合成は、生命をもつ有機体における「生命力vital force」という概念を打ち壊した(あるいは少なくとも弱めた)。
しかしこれらはそれぞれ次の点で疑わしい。
(1)’合成前の物質に「生命力」が残っていたかもしれないため、ヴェーラーの合成は人工的なものだとして却下された。
(2)’尿素の合成以前から、化学者たちは、有機化学と無機化学は化学結合の同じ法則に従うはずだという考えをもっていた。
(3)’「生気論」は単一の理論ではなく多様な考え[の総体]であり、ヴェーラーの合成後も生き残っていた。

 (1)’のように主張したのは化学史家のマッキー(1896–1967)である。彼は、ヴェーラーが合成に用いた物質は実際には有機物から得られたものであり、彼は尿素を元素から合成したわけではないことから、彼の合成は生気論を打ち壊すものとはなりえなかったと論じた。1960年代にはヴェーラーが「完全な」合成[尿素の元素からの合成]を達成したかどうかが歴史家や化学者の間で論争となったが、70年代には、それについて決着をつけるのは極めて困難であることが明らかになった。「人工的な」合成という言葉の定義の曖昧さは、神話の(1)の部分を必ずしも否定わけではないが、支持することもない。

 (2)’について、確かに19世紀初頭までは、有機物の性質やその合成可能性は不明確だった。だからと言って化学者たちが、化学結合に関する[無機物と]同じ法則に従うはずだという考えのもとで有機物を探求する方法をもたなかったわけではない。
 例えば1810年代には、シュヴルール(1786–1889)が動物性脂肪を化合物に分解してそれが一定の組成をもつことを明らかにし、脂肪が無機物と同様に化学合成の法則に従うことを示した
 同じ頃、[ヴェーラーの師である]ベルセーリウス(1779–1848)はドルトン流原子論の大家となり、原子の結合の比に関する法則を強固なものにした。彼は長い間有機化学と無機化学は同じ法則に従うはずだと考えていた。そして彼は、1814年に有機化学に転向して有機物中の炭素原子・酸素原子・水素原子の比を調べ、有機物は無機物と同様に一定の結合比をもつと結論した。ベルセーリウスは、自らの電気化学的二元論の法則が有機物にも適用可能であると考えていた。そして当時その適用がうまくいっていなかった理由は、有機物を結合させる独自の化学的力が存在するからではなく、有機物中の元素の結合比が無機物よりも複雑であるためだと論じた。

 (3)’に関して、この神話において見られる生気論のほとんどは、生命をもつもののみが有する神秘的・非物質的存在を想定している理論であるが、これはシュタール(1659–1734)などが擁護した極端なものである。他の自然哲学者はこれとは異なる生気論を主張しており、例えばハラー(1708–1777)やビシャ(1771–1802)は、非物質的存在ではなくニュートン的な重力に似たある種の力を想定していたし、ブルーメンバッハ(1752–1840)やライル(1759–1813)は、生命力を物理的・化学的要素の相互作用から生まれると考えていた(「生気論的唯物論」)。ベルセーリウス、そしてリービッヒ(1803–1873)もある種の生気論的唯物論を支持していた。
 生物学者の間では、生気論は盛衰を繰り返していた。ドリーシュ(1867–1941)は有機体の成長を方向づける非物質的要因である「エンテレヒー」の存在を提唱し、シュペーマン(1869–1941)は胚の成長に関する全体論的理論を展開した(これは生気論的だと誤解された)。また現代の「創発構造」や「自己組織化」といった概念は生気論的唯物論の復活とも言える。
 化学者が有機化合物の合成に成功していっても、有機物と無機物の間の隔たりはなくならなかった。パスツール(1822–1895)は、酒石酸には右旋性のものと左旋性のものがあり、かつ生物から分離した酒石酸はどちらか一方しか含まないことを見出した。彼はこのような分子の非対称性を無機化学と有機化学の境界だと考えた。ジャップ(1848–1928)はこの非対称性には非物質的な原因(神の意志)があると考えた。

 ヴェーラーに関する神話が生き残っている理由は、いくつかの目的にかなっているためである。有機化学者にとって、この神話は重要な仕事を成し遂げた英雄を示すとともに、有機化学のディシプリンとしての自律性を保証するものである。また特にドイツの化学者にとっては、自国の化学コミュニティの起源を定めるものである。一方生物学者にとって、この神話における生気論の単純化されたイメージは、生物学を「科学的な」ものにするにあたって生理学が化学や物理学の機械論的・数量的方法を採用した、という描像を引き立てるものである。