2015年12月4日金曜日

機械的客観性:スケッチと写真、自己監視、客観性の倫理 Daston&Galison(2007) chap.3 sec.4–6

Lorraine Daston and Peter Galison, Objectivity (New York: Zone Books, 2007): 161–190.

 授業で扱った、第3章「機械的客観性Mechanical Objectivity」の後半にあたる第46節のまとめです。

スケッチ対写真 (pp.161–173)
アトラス製作者は、スケッチと写真のどちらを選ぶかという問題に直面したが、結論は出なかった。教育における実用性・自然に対する正確さ・美しさ・客観性は必ずしも両立しなかった。ライプチヒの発生学者Wilhelm Hisは、スケッチと写真はそれぞれ長所・短所をもち、相補的な関係にあると述べた。
一方、細菌学者Robert Kochは、スケッチは主観が入らざるを得ないため、写真がスケッチに取って代わるべきだと主張した。彼は炭疽菌研究の後に細菌の写真を撮る仕事に取り組み、1880年には、微生物に関する客観的知識を得るためには写真が必要不可欠だと考えた。「完全に客観的な」顕微鏡写真は、スケッチよりも染料の色が見づらかったり、影が写り込んだり、一つの面からしか見られなかったりといった欠点もあったが、それを補って余りある利点をもっていると彼は考えた。
スケッチが必ずしも主観的なものではないと考える人々もおり、例えばイェーナの医師たちは写真に対して木版画を擁護した。しかしドイツの解剖学者Johannes Sobottaは、彫刻家の裁量が大きすぎるとして木版画の使用を批判し、[元のスケッチの]写真製版印刷による複製の重要性を主張した。彼はアトラスに用いる人体の部分をスケッチし、自動式石版印刷技術で石に転写し、それをそれと同じ大きさに引き伸ばした写真と比較してチェックした。
彼は同様の方法を、組織学及び顕微解剖学に転向した後も用いた。彼は試料が偶然もっていた特徴が表現に影響する可能性を指摘し、その影響を小さくするために、複数の試料を用いてスケッチを行ったり、そのチェックに複数の試料のモザイク写真を用いたりした。このように複数の試料のモザイク写真を用いる場合、描かれるのは[個々の試料の]特徴ではなく[試料が属する集団の]理想形なのだろうか。またそのようなものを理想形と呼んでいいのだろうか。あるいは、彼が描こうとしたのは、[個々のあらゆる試料の]本質的な要素を表現した類型なのだろうか。彼はこれらの存在論的問いを無視して、複製から主観性を排することのみに注意を向けた。
個々の要素を合成して一つの像を作ることは、解釈や判断の余地が残るとして敬遠されたものの、機械的な手順で実現できる場合擁護されることもあった。イギリスの人体測定学者Sir Francis Galtonは、あるグループに属する各個人の絵をそれぞれ透明な紙に描き、それらを用いて写真乾板を感光させることで、機械的に合成されたそのグループの[典型を表す]像が得られると考えた。各個人の絵をどれくらいの時間感光させるかは科学的に決定できた。彼のこの方法は、個々の「背後の」理想形を獲得することを、主観的理想化ではなく機械的客観性に基づいた手法で可能にした。
1920年代後半になっても、客観性を擁護し個人の判断を批判する論調は強かった。ベルリンの医師Erwin Christellerは、科学者は自分ではスケッチせず、機械的方法で写真を製作できる技術者に任せるべきだが、同時に、科学者は像の製作過程に他者の意向や干渉が入るのを防ぐために規制をすべきだと主張した。写真製作の過程はこのとき特別な認識的地位に高められ、そのスケッチに対する優位性が語られたが、それは個人の判断の排除と密接に関わっていた。客観性のためには、色や画像の鮮明さなどさえもが犠牲にされた。

自己監視 (pp.174–182)
19世紀末の、図における客観主義pictorial objectivismの創出を特徴づけるのは、自己監視self-surveillance即ち倫理的・科学的な自制であった。(画家・印刷工・彫刻家などの)他者の監視は、研究者自身への道徳的命令まで範囲を広げた。[標準からの]個人の逸脱は「個人誤差」を用いて制御できる場合がある。例えば天文学において、観察者は、星が[視野内にある]観察機器のワイヤを横切った瞬間にボタンを押すことで、星の通過時刻を正確に記録しなければならなかった。そこでボタンを押すタイミングの個人差を把握しそれに応じて調整を加えることで、より正確な記録を行うことができるようにした。
個人の傾向による、よりかすかな干渉を調整するのはさらに難しい。Hermann PagenstecherCarl Genthは、自己監視は非常に難しく、それを実現する「理論的結論」「実践的結論」は存在しないと指摘した。1890年、彼らに続いてEduard Jeagerは、自己監視は認識的徳だけでなく認識的不徳の序列も指示することを主張した。彼によれば、目で見て確かに捉えられるものしか描いてはならず、何かを書き落とすことは何かを(不確かなのに)書き足すことよりましであった。
科学者の一部は、スケッチを描かないことで[主観的な]解釈を排除できると考えた。アメリカの神経科学者M. Allen Starrは、スケッチの不十分さを批判し、写真の使用を支持した一方、「個人の解釈」「スケッチ」を完全に排除することで、一定の厚さ以上のものは写真に撮れないという困難に直面した。
彼と同じく「個人の解釈」を排そうとした、ベルリンの細菌学者Carl FraenkelとスタッフドクターRichard Pfeifferは、1887年に出した細菌学のアトラスにおいて、科学におけるスケッチと写真の論争について言及した。我々はただ目だけで物を見るのではなく、理解している内容を通じて見る。スケッチはそのような理解を反映することを避けられない一方、写真は物そのものを「バイアスなく」、そしてより正確に反映する。また写真は、顕微鏡を用いて通常一人でしか見られない光景を、顕微鏡なしで他人にも見せることができるのに加えて、顕微鏡を用いた場合大まかな観察で終わってしまうところを、より詳細に探究することを助ける。しかし彼らは写真の欠点も指摘した。写真乾板は試料の一部しか捉えられず、用いる試料の厚さに限界があるために写真は単一の焦点面しか示せず、端はぼやけてしまう。また細菌の大きなコロニーは顕微鏡写真による表象[に適した大きさ]を超えてしまう。
同じくスケッチと写真の論争に言及したのは細菌学者Karl Bernhard Lehmannであった。彼は客観性を確保する目的で写真が優れていることは認めつつ、空間的な深さを描いたり、病気の診断などに用いたりする場合、スケッチの方が優れていることを指摘した。
機械的客観性は、教育的効果・色彩・厚み・診断における有用性などを犠牲にするものであったが、多くの専門家が進んでそういった犠牲を払ったことは、この認識的徳が強く彼らを惹きつけたことを示している。アメリカの天文学者Percival Lowellは、火星の「運河」の存在を立証しようと試み、1905年に火星の表面をフィルムに収めることに成功したが、その像は灰色でぼやけており複製困難なほどであった。しかし彼は、客観性のために明瞭さや複製可能性までも進んで犠牲にした。

客観性の倫理 (pp.183–190)
Cajalにとって明瞭に見ることは、科学と徳の両方にとっての目標であった。Golgiは仮定に合うように脳の網目構造を見たが、Cajalによれば、そのような「誘惑」が意志の弱い科学者を真の観察から遠ざける。Cajalは、生理学的機能からの推測と美的・理論的魅力の誘惑に屈する衝動の両方を抑制すべきだと主張した。
機械的客観性は、自然の正しい描写の営みの中にあるものの、描写の正確性と自制への道徳的忠誠を比べた場合、後者の方が優先されてきた。初期のアトラス製作者たちは画家に自制を求め、類型あるいは[個々の]特徴から発見される真実に関心をもっていた。後にアトラス製作者たちは自制を自身にも向け、また、真実の把握には介入が必要でありかつ像の修正には主観性が入ってしまうために、類型を犠牲にし、真実の理解を後回しにした。しかし全ての介入をなくすことは誰にとっても不可能であり、その意味で機械的客観性はあくまで理想に留まる。
 アトラスは類型的事象でも、類型の特徴を示す個々の事象でもなく、標準の範囲をカバーする少量の事象を示すに留まるという意味で、機械的客観性はアトラスの理想化の野望を砕いた。また、18世紀のアトラス製作者にとっては、本質的なものと偶然的なものを区別しないこと、欠陥のある見本を修正しないこと、像の重要性を説明しないことは、徳のある束縛ではなく能力の欠如とみなされた。しかし19世紀初めの数十年間で、科学者たちは、解釈と想像の高まりに気をもみ始めた。彼らはそれらの「内なる敵」を、外的にも内的にも統制しようとした。意志を統制しようとするこのような内的葛藤が、機械的客観性に道徳的な色彩を色濃く加えた。
 写真は非介入主義的な客観性の象徴とされたが、それは写真がスケッチより自然に忠実だからではなく(初期の写真よりはスケッチの方が正確だった)、人間の介入を排しているからであった。非介入こそが機械的客観性の核心であった。
 客観的像の興隆は、視覚空間に関する芸術と科学の対立を促した。1618世紀には芸術と科学は協力関係にあったが、19世紀初めに入ると、ロマン主義芸術家は意図的に[絵などに]自己[の見方]を付与することが芸術にとって不可欠だと述べる一方、科学者は像に自己の痕跡を残すべきでないという逆の主張をするようになった。写真はこの芸術と科学の論争に参入した。19世紀の優れた顕微鏡写真の専門家Richard Neuhaussは、肖像や景色の写真なら修正は不可欠だが、科学者にとって自然[を写した写真]の修正は許されないと指摘する一方で、それが理想に留まることにも気付いていた。また彼は、大抵の研究者はスケッチを他者に依頼するため、様々な主観的解釈が入り込むことは避けられないと指摘した。さらに彼は、顕微鏡写真が客観的に対象を反映する以上に、対象以外のもの(光の多寡や回折など)を反映しうると主張した。

そして20世紀に入ると、機械的客観性に対する信用は崩れていった。客観性はあくまで理想に過ぎず、完全には実現不可能だと考えられるようになった。1872年の演説でRudolf Virchowは、主観性を完全に排することは不可能だったと告白しているが、20世紀初頭の多くの科学者たちも同様の結論に至った。その後、主観性の必要性を認める人々もいれば、客観性を追求する領域を数学や論理学に移す人々もいた。