2016年10月27日木曜日

観察と実験の関係、実験的方法の構造 ベルナール(1970)緒論・第一編


クロード・ベルナール『実験医学序説』三浦岱栄訳、1970年、岩波文庫 、13–97ページ。

緒論 
医学は、経験的・哲学的・体系的なものから分析的・科学的・実験的なものに進歩しつつある。そのような科学的医学は、生理学・病理学・治療学の三部門を含み、かつ生理学を一番の基礎としなければならない。また科学的医学は他の科学同様、実験的方法(観察と実験によって得られる事実に対して、推理を応用すること)に基づかなければならない。 
生物の体内で起こる複雑な現象を研究するには、まず実験の原理を提出し、それを生理学・病理学・治療学に応用しなければならない。本書は生理学・病理学・治療学の三つの見地から実験医学の原理を論じる。 


第一編 実験的推理について 

第一章 観察と実験について 
・探究とは、我々の感覚だけを用いる簡単なものから、器械などを用いる必要がある複雑なものまであるが、我々の周囲の隠れた現象を発見・実証するための方法である。それによって我々は観察に達する。さらに我々は、観察した現象に推理を下したり事実を比較したりして吟味するが、これこそが実験と呼ばれるものである。哲学的には「観察は示し、実験は教える」と言える。 

一 観察と実験の諸定義
一般的な見解によれば、観察とは事物や現象を自然が示すままの形で検証することであり、実験とは実験家によって創作・決定された現象を検証することである。このため現象を作り出す点において、観察家は消極的であり、実験家は積極的であると言える。 
観察は予測の有無によって積極的観察と消極的観察に区別されなければならない。また実験も、実験家の実際の手の働きの有無によって積極的実験と消極的実験に区別されなければならない 
・他の定義によれば、観察とは正常で規則正しい事柄を検証することであり、実験とは、自然現象の条件が人の手によって故意に変化や障害を受けた結果を検証することである。た先程と同様に、実験における障害は、実験家の計画性の有無で区別できる。 
ここで注意をしておくと、実験を現象に加えられた変化や障害によって定義するならば、それを正常状態と比較することが言外に含まれている。実験における真の積極的要素は比較である。また結果は条件によって変化するが、背後にある法則は不変である。生理的状態と病的状態は、生命の法則が発する条件の違いにすぎない。 

二 実験を獲得し、観察を論拠とすることは、単に実験または観察をすることとは異なる  
前述の定義は、観察と実験を探索の技術としてだけ考えている点で不十分である。観察と実験においては、事実を得るための検索操作に属する部分と、事実を活用して実験的方法の論拠や規範とする知的操作に属する部分が区別されなければならない。 
「観察をする」「実験をすると述べる場合事実を獲得し、そこから推理によって知識を引き出せるように様々な探索・試験を試みていることを意味する。「観察の上に立ち実験を獲得する」と述べる場合、観察は推理を下す基礎であり、実験は結論を下す基礎である観察とは事実を示すものであり、実験は何かを教えるもの、つまり事物に関する経験を与えるものである。 
・我々が周囲の事物についての経験を得る方法は、経験によるものか実験によるものである。経験は漠然とした無意識的判断によって形作られるが、実験においては明瞭でよく推理されたものに組み立てられた判断を用いる。実験的方法とは、一定の規範によって周囲の事実を観察し、比較し、判断を下すことである。ただしこの規範とは、判断を検査するように(正しい経験を与えるように)規定された他の事実のことを指す。 
・実験的方法において考えるべきことは、厳密な検査方法によって正確な事実を得る技術と、現象の法則を導くために、実験的推理によって事実を運用する技術である。 

三 探求者について、科学的研究について
前節で探究の積極性と消極性による定義や区別は主張できないと示した。それに基づけば、用いる研究操作の性質によって観察家と実験家を区別することはできない。観察家も実験家も事実を証明するために、現象の複雑さに応じた研究方法を用いる探究者である。 
・実験科学の進歩は探究方法の完成度によって測られる。よって実験医学の将来も、生命現象の研究に応用できる研究方法の開発にかかっている。 
・科学の探究においては、簡単な操作つまり探究方法の細部が最も大切である。このことはしばしば無視されたり軽視されたりしてきたが、実験に親しまなければ生命現象に関する有望な一般論に達することはできない。 

四 観察家と実験家について、観察科学と実験科学
観察家は自分では変化させられない現象の研究のために探究方法を用いる人であり、実験家は自然現象を変化させ、自然には生まれない環境や条件でその現象を出現させるために探究方法を用いる人であるこの意味で、観察は自然現象そのままの探究であり、実験は探究者によって手を加えられた現象の探究である。 
ここから、自然的観察の事実について推理する科学である観察科学と、実験家が自ら決定し創造した条件下で得た事実について推理する科学である実験科学を考えることができる。これらの区別は、現象に対して探究者が働きかけられるかどうかという点でなされるまた全ての科学は、最初は観察科学であり、現象の分析が進むと実験科学となりうる。 
・実験的推理については観察科学でも実験科学でも同一であり、推理の出発点になる事実と推理の結論となる事実を、比較によって判断する。ただし観察科学では二つの事実はどちらも観察事実である一方、実験科学では、二つの事実が両方実験から借りられることも、実験と観察から同時に借りられることもある。 
観察科学は進んで実験しないという意味で消極的科学と言える一方、実験科学は物質に干渉し現象の発現を促進するため積極的科学と言える。ここで医学は観察科学でいるべきか実験科学となるべきかという問題が残るが、ここでは実験科学になるべきであると考えていると述べるに留める。 

五 実験は結局惹起された観察にほかならない  
観察も実験も事実の検証である。異なるのは、実験家が検証する事実はそのままでは現れてこないため、自ら出現させなければならない点である。そこで、実験は結局、ある目的で惹起された観察にすぎないと言える。 
・実験家は通常、実験的構想の価値を吟味・証明するために実験する。この場合、実験は吟味の目的で援用された観察であると言える。 
・医学のような揺籃期の科学においては、実験的構想は自然には生まれてこない。よって、研究の道を開くような暗中模索的な実験を行うことを恐れてはならない。これは見るための実験と呼ぶことができる。また実証すべき予想を持たずに実験することもあるが、それは研究の方向を指示するような構想を発見するために観察を喚起するものである。これは、構想を生じさせる目的で喚起された観察であると言える。 

六 実験的推理において実験家観察家から分離されない
科学者は、事実に照らして検証する構想を持っていなければならないと同時に、構想の出発点あるいは吟味として役立つ事実が正当なものであると確かめなければならない。このため、科学者は観察家と実験家を兼ねていなければならない。観察家は現象をそのまま検証し、実験家は推理して実験を工夫する。 
・完全な科学者は①事実を検証し、②この事実に基づいて構想を思い浮かべ、③この構想の上で推理し、実験を組み立て、条件を工夫して実現し、④実験から生まれた新現象を再び観察する。このように同一の探求者が交互に観察者となったり実験家になったりするため、実際には両者は分離できない。 
・実験的方法の以上のような部分は互いに連携しており、一部だけが進歩しても実験科学として進歩しないしかし一切の科学的推理の原動力は構想にある。 


第二章 実験的推理における先験概念と疑念について
・実験的方法の目的は、漠然とした推測や想像に基づく先験概念を、実験的研究によって証明された後験的概念に変えることである。 
・実験的構想は先験概念であるが、一種の仮説の形で現れる。その価値を判断するためには、結果を実験的規範に従わせる必要がある。 
・人間の精神は感情、理性、実験と進んできた。実験的方法による真理の研究においても出発点となるのは感情であり、これが先験概念あるいは直観を生む。次に理性つまり推理が観念を発展させ、論理的結果を演繹する。そして最後に、理性は実験によって導かれる必要がある。 

一 実験的真理は客観的即ち外在的である 
人間の精神には二つの真理がある。一方は意識的・内在的・主観的真理絶対的なものである。他方は無意識的・外在的・客観的真理で、経験的・相対的なものである。真理は関係という形式で人間の精神に現れるが、この関係は、条件が単純で全て理解可能である場合のみ絶対的なものとなる。 
・数学は物の関係を理想化された単純な条件下で表しているため、関係(原理)は絶対的真理として承認される。ここでの推理は論理的演繹によってなされるため、実験によって実証される必要はない。 
・最も単純な自然現象についての実験科学も、現象の関係を人間の精神が理解できる程度に単純な条件下で表している。しかし出発点が主観的真理ではなく観察や実験から得た客観的真理にあるため、実験科学の原理は仮定的なものである。またここでの推理は論理的演繹であり、実験はなされない。 
・生物学は現象の関係が複雑であるため、その原理は一時的・仮定的なものである。ここでの推理は、論理的演繹を用いていても[出発点が不確実なため]不確実であ、実験的検証が必要である。 
・自然科学者や医学者が真理に近づく際に用いることができるのは実験的推理のみである。ただ、それは客観的規範[条件]に関係付けられているため、相対的な真理しか与えない。 

二 直観または感情が実験的構想を生み出す
実験的構想や仮定は実験的推理の出発点となるもので、感情から生み出される。実験的構想が生じるためには外からの刺激つまり事物の観察が必要である。観察の結果その現象の原因に関する予測的観念[実験的構想や仮定]が思い浮かび、理性によってその観念の正否を試すような実験がなされる。仮定はできるだけ真実らしく、実験的に証明できるものでなくてはならない。 
実験的構想がどう喚起されるかは人によって異なり、天分や周囲の知的環境に影響される。 
・実験的方法は、構想を持っている人にとっては役立つが、構想を持っていない人に新たな構想を与えるものではない。良い方法は科学の発達を助け、遭遇しうる誤りの原因に注意を促す。生物学においては現象が複雑で実験の中に誤りの原因を持ち込みやすいため、方法の役割が特に重要となる。 

三 実験家は疑念を発し、固定した観念を避け、またつねに精神の自由を保持しなければならない  
科学者は事物の絶対的必然的因果関係つまりデテルミニスムが存在すること、我々の学説は知識の現状の表現にすぎず不動の真理を表しているとは言えないことの二つを信じなければならない。実験科学における推理の結果を受け入れるか議論するかについて、我々の精神は常に自由である。この自由は哲学的疑念に立脚している。 
生物学特に医学において学説は実に不完全なため、ほぼ完全な自由がある。物理学や化学では学説はより確実になるため、推理の結果により大きな重要性を認めるべきである[自由は減少する]。数学において公理や原理から出発する場合のみ、その真理は絶対必然的・意識的なため、我々は自由ではない。医者や生理学者が観察や学説を信じてよいのは、実験的検証を経た後においてだけである。 
・学説に立脚した固定した思想を持っている場合、学説を確かめることだけが目的になり、発見が阻害される。また自分の学説や構想を偏重する人は、自分の学説を確証するため、あるいは他人の学説を打破するために観察を歪め、事実を誤ることになる。科学者は自由平等の精神を保持し、個人的虚栄心などの感情で見方を歪めてはならない。 
・科学において構想は実験(的方法)という規範のもとに置かれなければならない。ただその規範のもとであれば、憚ることなく構想を展開すべきである。 

四 実験的方法の独立的特徴
実験的方法の特徴は、実験という規範を自らの中に持っているために、事実以外の権威から独立しているということである。よって、ある構想や学説が出されたとき、それを支持する事実だけを求めたり、それを弱める事実を遠ざけたりしてはならない。 
数学において、真理は絶対不動であるため、獲得された真理を並置することで学問が増大する。一方実験科学における真理は相対的なため、革新か、古い真理が新しいものに吸収されるかによって進歩する。実験科学においては、大学者であっても相対的な真理しか主張できないため、個人的権威を誤って尊敬することは科学の進歩の障害となる。 
・実験的方法の進歩は、誤謬の総計が減少し真理の総計が増大することである。それぞれの部分的真理はより一般的真理を構成するために付け加わり、それとともに個人の名前は消え去って、学問は非個人的な形式になる。物理学と化学は既にできあがっている科学であり、実験的方法の独自性や非個性的特徴を十分反映しているが、医学は依然として経験本位であり、まだそれらを反映してはいない。 
・活動の根源である感情は、実験的構想を出現させるために自発性と自由を保持しなければならない。理性は、疑念を発する自由を保ち、構想を実験の規範に置くことを要請する。そして実験が、感情の正しさや構想の有望性を確定させる。 

五 実験的推理における帰納と演繹について
推理は二つの形式がある。一方はまだ知識を持たない人が用いる探究的・質問的形式で、帰納的推理と呼ばれる。他方は既に知識を持っている人が用いる証明的・肯定的形式で、演繹的推理と呼ばれる。さらに科学的方法も二つあり、一つは実験的・物質的科学に特有な帰納的方法(帰納)、もう一つは数学に固有な演繹的方法(演繹)である。我々が従事すべき実験的推理の形式は帰納法である。 
しかし実際に帰納と演繹を明確に分けるのは困難であり、また帰納的推理と演繹的推理はどちらもあらゆる科学に属している。人は既知の事柄を足がかりにして未知の事柄に進むが、いかなる科学においても未知の事柄と既知の事柄は両方とも存在している。そして科学の基礎としての原理や学説は、必ず帰納的推理から得られたものである。数学者も自然科学者も原理を得るにあたっては帰納を使用し原理から出発する際には三段論法によって演繹するが、原理の確実性が異なるために演繹の結果の確実性も異なる 
現象を見た個々の事実に関して思い浮かぶ先験概念実は我々がそれを帰着させようとする原理を含んでいる。そのため我々が帰納していると思っているときでも、実際は演繹していると言える。事実が集まれば集まるほど原理も一般的かつ確実になるが、その原理はあくまで一時的なものである。 

六 実験的推理における疑念について
・実験的法則の基礎の一つは、出発点あるいは原理が絶対的真理でないときには、推理の結論は常に疑問としなければならないということ(疑念)である。実験的推理はスコラ哲学的推理の逆である。 
・ベーコンの帰納論は科学概論の基礎だと考えられているが、彼は科学者でなく、実験的方法の機構も理解しなかった。ガリレオやトリチェリのような大実験家は帰納法のような法則に先立って出現していた。またデカルトはベーコンのものよりはるかに実際的な、実験を喚起するのは疑問のみであるという掟を述べている。 
・医学や生理学に関する場合、懐疑主義と科学的疑念を区別し、この疑念をどこまで推し進めるべきかを決定しなければならない。懐疑家は科学を信じずに自分を信じるが、真の科学者は自分や自分の解釈を疑う一方科学を信じ現象には一定不変の物質的条件があるという現象のデテルミニスムも承認する。 
・実験家の仮定は、実験によって否定される場合と肯定される場合がありうる。前者の場合実験家は自己の構想を放棄するか変更しなければならない。しかし後者の場合でも、直接意識に上らない真理に関する以上、実験家は反対証明を要求しなければならない。 

七 実験的規範の原理について
・実験家は出発点となる先験概念または学説を疑わなければならないため、構想を実験的規範に置くことは絶対的な掟である。この実験的規範の基礎理性のみである。事実は実験的構想に形式を与え、また批判として役立つが、これは理性がそれを承認するという条件のもとで可能となるためである。 
・実験的真理は自然現象の複雑さの中にあるが、それでも絶対的な原理に基づいている。これは現象の条件における意識的必然的デテルミニスムであって、実験とは独立した数学的・絶対的なものである。 
・実験科学においては事物の関係が複雑な現象の中にあり、我々はこれをより簡単な関係や条件に導くため、実験で現象を分析解体する。この分析こそ我々の唯一の手段であり、デテルミニスムは我々を導く原則である。 
・従って、もしある実験において現象が必然的な条件に結びつけられないほど矛盾した形で現れた場合、しばらく様子を見るか、観察に入り込んだ誤りの原因を実験によって探さなければならない。存在条件を決定できない事実を認めることは、デテルミニスムの否定、つまり科学の否定である。 

八 証明と反対証明について
・与えられた条件がある現象の近接原因であることを結論するためには、その条件がなければ現象が生じないことを確かめなければならない。この反対証明は、実験的推理の本質的必然的特徴であり、極端まで推し進められた哲学的疑念である。 
・反対証明(反対実験)と比較実験を混同してはならない。比較実験は、現象を簡単にし、誤りの原因に対して警戒するために援用される比較観察である。一方反対証明は、実験の結論を出す際に必要な一部分を作っている反対判断である。反対証明の重要性は物理学や化学では十分知られているが、医学では全く理解されていない。 
・実験的推理は、デテルミニスムに達するという、全ての科学に共通の目的を目指している。つまり推理と実験によって、自然現象をその存在条件あるいは近接原因に結びつけようとしている。 

2016年10月6日木曜日

プロイセンにおける統計の公表と秘匿 ハッキング(1999)第3章

イアン・ハッキング『偶然を飼いならす--統計学と第二次科学革命』石原英樹・重田園江訳、木鐸社、1999年、26–40ページ。

3章 アマチュアは公表し、官僚は秘匿する

 すべての国家はそれぞれの仕方で統計調査を行っていた。空想家、会計士、軍人が、様々な時期に様々な場所でセンサスを行ったが、近代のセンサスの多くは祖国よりも植民地で多く行われた。それぞれの国家や植民地について興味深い経緯が存在する(例えばカナダ、アメリカなど)が、「19世紀の統計学は、各国の抱えていた諸問題、傷、絶え間ない苦悩についての証言である」 と主張することができるだろう。 
 本章では、1820年すぎに起きた〈数字の洪水〉だけに囚われないために、それに先行するドイツ語圏、特にプロイセンの例から話を始めることにする。国民国家が自らとその力を定義するためには統計局が必要であることに逸早く気づいたのが、ドイツの思想家と国家官僚だったためである。 
 ライプニッツは公式プロイセン統計学の哲学上のトップであり、1685年に中央統計局を設立する考えを固めた。彼は中央統計局が死亡、洗礼、婚姻の記録を集中的に管理することで、様々な行政部門(軍事、民事、鉱業、森林管理、警察)に役立つと考えた。しかし完全な実査enumerationは未だに非現実的なものだった。また彼は国家について56のカテゴリー(男女別人口、社会的地位別人口、武器を持てる男性の数、結婚可能な女性の数、など)で評価することを提案したが、こちらも現実離れしたものだった。 
 ブランデンブルグ・プロイセン王国が1701年に成立したが、当時統計局は存在していなかった。プロイセンにおける実査の動きが始まったのは、フリードリヒ・ヴィルヘルムⅠ世(在位1713–40)の治世になってからであり、彼の官僚たちはまず〈数え上げる〉ための方法を確立しなければならなかった。 
 制度の改革はゆっくりとしか進まなかった。まずブランデンブルグ・プロイセンの四地域において出生、死亡、婚姻記録のための制度が作られ、1719年には(失敗したものの)完全な実査が試みられた。様々な報告体系が試され、集計結果の初の要約は1723年に出版された。1730年までには、人々は九つのカテゴリー(家長、女主人、男児、女児など)に分類され、労働者は24の職業に分類され、建物の分類や家畜なども記述されるようになった。これらの数字は、敵に知られると危険なため国家機密とされた。 

 官製統計は、18世紀は公表が恐れられたが、19世紀には逆に公表が進められた。18世紀に公表されたのは、民間人によって集められた数値だった。編集者にして地理学者、そして旅行家でもあったA. F. ビューイングは、ドイツ諸邦とその近隣の統計情報を満載した二冊の雑誌を刊行した。またゲーテやベルヌイは、旅行記に何でも数えて記録した。 
 18世紀半ばのドイツにおける最も体系的な民間統計はJ. P. ジュースミルヒの『神の秩序』であり、教区の記録や他の未使用のデータを用いて、神の摂理を示す出生、死亡、性比について詳細に記述してある。彼はこの世界の事物の配置そのものが創造主の存在を証明しているという考えに立つ、自然宗教の擁護者であった(出生率を自然神学的に解釈する伝統はイギリス政治算術に始まる)。『神の秩序』は三版を重ね(二版は王室のお墨付きだった)、教区の記録と死亡統計を合わせた膨大な事実の堆積物となった。この著作は、都市で年々死亡率が上昇しているのは不衛生ではなく悪徳のせいだとするなど直接道徳を説いたものだったが、人口調節についてのモデルを用いた分析も見られる。 
 ジュースミルヒはフーコーのバイオポリティクス(生-政治学)に絶え間なく登場した。バイオポリティクスは「社会集団全体を標的とする包括的な測定、統計的な査定、介入を生み出した」ものであり、身体すなわち「生物学的過程、つまり生殖、出生と死亡率、健康状態、平均余命と寿命」に焦点を当てたアナトモポリティクス(解剖-政治学)と対になっていた。しかしフーコーのこの二極化はこの文脈では見出せない。なぜならジュースミルヒの統計的な査定(バイオポリティクス)は、生殖、出生、死亡、健康、平均余命(アナトモポリティクス)と直結していたからである。 
 ドイツのバイオポリティクスは七年戦争(1757–63)の後に本格的に始まったが、そこで話題になったのは人口減少だった。プロイセン統計の特徴の多くはそれへの関心とともに生まれ、フリードリヒ大王の作った熱狂的で自己目的化した官僚制度によって極端なものとなった。 
 彼の治世下で〈数え上げ〉られた事物のカテゴリーのリストは7ページに及んだ。その多くは同じような段階にある他国でも見られるものだったが、新しい試みも存在した。一つは、人口が民間人か軍人かで分けられたことである。人々は地理的な範囲で〈数え上げ〉られていたが、民間人が一箇所に留まることが多いのに対して、軍人は移動したり駐屯地にいることが多いためである。性別分類より市民の分類の方が基本だと見なしたのはプロイセンだけであった。そしてもう一つは、移入民、移出民、国籍別、人種別の統計表が初めて作られたことである。ユダヤ人は1745年に統計表に現れたが、当時は宗教的集団としては扱われていなかった。まもなくユダヤ人は他と完全に切り離された形で定期的な実査が行われるようになった。 

 公式統計の体系の進展は熱狂的なアマチュアによる統計数字の公刊と並行していたが、ドイツ統計学には第三の勢力があり、「大学統計学」と呼ばれていた。イェナ大学の政治学と地理学の教授であったヘルマン・コンリングがその創始者と呼ばれるにふさわしいとされている。またゲッティンゲンのゴットフリート・アッヘンワールは「Statistik」という言葉を確立し、彼がそう呼んだものを「国家についての顕著な事実」を集めることだと考えた。 
 彼らの研究の大部分は定量的なものではなく、むしろ彼らは数字や計算に反感を持っていた。しかし彼らの調査と、例えばビューシングの雑誌の内容には本質的な連続性があるように思われる。ビューシングは徹底的に数字的(統計学的)だったが、背表紙などでは歴史学者-地理学者、つまりアッヘンワールの意味での統計学者だと自称しているのである。 
 19世紀には大きく分けて、大学統計学者の記述的で非数量的な科学と、イギリス政治算術の系譜にある(ドイツではジュースミルヒによって始まった)科学の二つが、統計学という名称の下に存在していた。大学統計学は統計学という言葉を確立したこと以外に統計に関係しないように思われるが、それは過小評価である。プロイセンの統計官僚は数量を扱っていたものの、その統計表は大学統計学者の表に似ており、言葉の代わりに数字があるにすぎなかった。プロイセン官僚は、フリードリヒ大王の閣僚の官僚的熟練と数字のアマチュアの手腕を引き継いでいたとともに、大学統計学の後継者でもあった。 

 ゲーテやベルヌイの旅行記は、イギリスやフランスとは比べものにならないくらい数字への熱狂を伴っていた。アーサー・ヤングのようなイギリスからの旅行者たちは、農業技術だけでなく、数字への熱狂も西側に持ち込んだ。「statistics」という言葉をイギリスに持ち込んだのは、スコットランドの偉大な農業改革者ジョン・シンクレア卿である。彼はドイツから統計についての教えも受け、それはスコットランドを超えて広められた。

必然性の教義 ハッキング(1999)第2章

イアン・ハッキング『偶然を飼いならす--統計学と第二次科学革命』石原英樹・重田園江訳、木鐸社、1999年、18–25ページ。

第2章 必然性の教義  
  
 アメリカ人哲学者C. S. パースは、1892年に「この宇宙の中のすべての事実が法則によって決定づけられているという通念を疑うこと」を提案した。彼は「任意の時点における事物の状態は、『強固な普遍の法則と結びついて他のすべての時点の事物の状態をも完全に規定している』という命題」(=〈必然性の教義〉)を問題とした。彼は「普遍的必然性の理論[...]の無効性を明らかにできた」と論じた後、さらに積極的に、この世界は他に還元することができないという意味で偶然に満ちているchancyと断じ、非決定論者の先頭に立った。  
 〈必然性の教義〉が疑われる前後の違いをはっきりさせるために、パースと、確率数学者ラプラスを対比させてみる。ラプラスは「すべての事象は、たとえそれが小さいために自然の偉大な法則に従っていないように見えても[…]必然的にこの法則から起きるのである」という古典的な必然性言明を書いた。カントをはじめとする哲学者たちは、彼に全面的に賛同した。  
 偶然は決定論的な現象世界でどのように捉えられるのかという点に関しては、あらゆる時代に数多の議論がなされてきた。例えば因果系列の交わりという概念では、一見〈たまたま〉起こったように見える出来事は、非因果的だったのではなく、因果系列が交わった[複数の因果が一緒になった結果そうなった]だけだと説明される。このような必然性の面子を保つための考えは、アリストテレスからトマス・アクィナス、19世紀の確率論者A. A. クルノーに至るまで、何度も出された。 
 哲学的に厳密ではない確率概念も、必然性への脅威にはならなかった。ラプラス以前の最良の確率の教科書を著したド・モアブルは、生起したすべてのことは(たとえ我々が知らなかったとしても)設定の物理的特性によって決定されていると考え、「偶然というのは単なる言葉にすぎない」と述べた。ヒュームはこのフレーズを『人間知性の研究』でそのまま用いている。偶然を幸運や運命のような積極的な力と見なす人物は、ド・モアブルにとっては反宗教的であり、ヒュームにとっては通俗的であった。偶然は理性とは矛盾するものと考えられたのである。 
 ヒュームは〈必然性の教義〉への懐疑で有名なように思われるが、彼が疑っていたのは必然性の実在ではなく、必然性についての我々の認識、つまり自然の内的な働きを知っている[あるいは知ることができる]という主張であった。ラプラスはヒュームよりは楽観的で、我々は無知ゆえに究極原因や偶然に頼ってきたかもしれないが、それらは知識の範囲が拡張するとともにいずれ消え去るだろうと考えていた。 
 ラプラスのこの考えにすべての人が同意したわけではなかった。クザヴィエ・ビシャは「自然の中では、存在、属性、科学はそれぞれ二種ある。存在は有機的か非有機的であり、属性は生命を持つか持たないかであり、科学は生理学か物理化学である」と述べている。そして、物理法則は一定不変であり、物理現象は予測や計算が可能である一方、生理学的な法則は一定不変ではなく、有機的生命の現象は予測や計算ができないと考えた。「すべての生命の働きは多くの変数の作用を受けており[...]これを把握するためには大変な計算が必要である。なぜなら異なった事例ごとに異なった規則を必要とするだろうから」。 
 ただし、ビシャが反論したのは[一定不変な]法則に対してであって、秩序や因果に対してではなかった。彼の生気論は〈決定論の浸食〉を生じさせないどころか、むしろ偶然概念に真っ向から抵抗していた。 
 次章では〈数え上げcounting〉を扱うが、ここでヒュームとカントが生きている時期の〈数え上げ〉を取り上げる。それは、秘匿される官製のものと、公表されるアマチュアのものの二つに大きく分かれる。カントはヘルダーの歴史概念に関する著書の最初の部分と、同時代の有名なドイツ統計の読み物と併読し、普遍史についての小論を書いた。

[...]個々人にあっては驚くほど規則的でなく混乱しているように見える出来事にも、人類全体の行為として見れば、人間に元来備わっている根本的な素質が、たとえ緩慢にせよ絶えず発展している様子を認識できる[...]たとえば、死、誕生、結婚には人間の自由意志が影響を及ぼすので、これらの数値をあらかじめ計算することを可能にするような規則は皆無であるように見える。それにもかかわらず諸国で毎年発表される統計表は、これらの現象が[...]一定不変の自然法則に従って生起していることを立証している。