Christoph Lüthy and Alexis Smets, 2009, “Words,
Lines, Diagrams, Images: Toward a History of Scientific Imagery,” Early Science and Medicine 14: 398-439.
授業で扱った論文のまとめです。
イントロダクション
美術史家・科学史家・科学哲学者は過去15年くらいで、認識的図像epistemic imagesに着目して研究してきたが、そこでは(1)図像と図像でないものを分ける、時代に左右されない基準がある、(2)図像は時代を超えた、極めて安定した存在論的・認識的地位をもっている、(3)図像の安定した分類学の確立が可能である、という3つの想定がなされていた。これらは疑わしく反駁の余地がある。本稿の目的は、認識的図像への歴史を超えた、本質主義的アプローチの問題を指摘し、図像をめぐる認識的・存在論的・教育的想定を考慮に入れたアプローチを提案することである。
問題1:言葉と図像の曖昧な境界線
[CohenのAlbum of Scienceシリーズの著者の一人である]John Murdochは、言葉がページを超えて自らを形作り、その過程で図像という形態への第一歩が踏み出される部分に注意を払った。現代の議論においては、単に図像をテクストとして扱うか、逆に言葉と図像の本質的な差異を想定するため、Murdochのような観点は欠けている。彼は、ギリシャ語のgrafeinが文字・図表・図像のいずれかを問わず「石版に刻む」の意であること、grafis(石筆)で描かれた線はドローイング・文字・テクストのいずれにもなるが、grafe/grammaという言葉はそれら全てを含みこむ意味をもつことを指摘している。またヒエログリフにおいては、ドローイングと文字の区別はなく、文脈に応じて判断される。
James Elkinsは、Nelson Goodmanによる図像の区別(文書・記号・図)を批判し、ほぼ全ての図像は3つの区別が混ざったところに位置すると論じた。Murdochの論はこのElkinsの論と共通点をもつと思われる。Murdochは言葉から図像への発展を4つの段階として捉えている。即ち、議論が表やテクストボックスにまとめられる段階(図1)、言葉同士が論理関係を示す線で結ばれて二叉分枝のようになる段階(図2)、二叉分枝が樹形に組織化される段階(図3)、樹形図に葉や林檎や周りの風景が描き込まれる段階(図4)である。このような連続性は、テクストと図像の間にはっきりした境界線はないことを示している。
言葉が図形に、図形が図像に容易に変わることで、認識的図像の類型学・分類学は困難となり、認識的図像の機能や役割を一般的なやり方で明らかにすることは不可能となり、言葉・概念・理論・図像の間の関係をはっきりさせる試みはだめになる。
問題2:同じ形状、異なる意味
この、二叉分枝が樹形図へ容易に変化する現象は、歴史的に立証される。例えばDarwinのノートへの記載(図5)は、アイディアが言葉になる前に視覚的な形をとって現れたものである。この記載をErnst Haeckelの樹形図(図6)と比較してみると、どちらも種の分岐を表しているが、線が伸びている方向が一定かバラバラか・線の広がりに目標があるかランダムか・線の分岐が論理的な対比と分岐のどちらかを表すのか両方を表すのか、といった差異がある。
形態学的に同じように見えても、意味は全く異なる例が存在する。1つの円を同じ半径の6つの円が取り囲んでいる4種類の図像(図7~10)はその顕著な例である。図7は「6」と「円の完全性」を象徴している。図8は図7と形はそっくりだが、[創世記における、神の]6日間の創造と7日目の休息を表している。図9はBrunoによるもので、宇宙の構造を示している。図10も同じくBrunoによるものだが、図9の円が世界worlds (mundi)を表していたのに対し、この図の円は原子を表している。図9と10は意図的に似せて描かれており、図10の四隅の星は原子的構造が宇宙的構造と類似していることを示している。一方、図11は近年の物理学の論文に出てくるもので、黒い7つの円は銀原子の七量体を表している。形態学的にいえばこの七量体は図10の系譜にあるが、図11の7つの円が分割可能な銀の原子を示しているのに対して、[図10の]Brunoによる7つの円は、分割不可能で魂を吹き込まれたensouledものであり、2つは共通点をもたない。図7~11の例は、形態学的にいえば何世紀もそのまま残存していたように見える図像であっても、単一の意味や名前を与えることは不可能なことを示している。
形と意味が一致しない最も顕著な例は、図表ともグラフともとれるような、二つの座標の間に一本の直線が引かれた図である(図12)。幾何的な図とグラフの大きな違いは2つあり、1つ目は、グラフは目盛りを示す軸として垂直な線・平行な線が定義されている点、2つ目はグラフにおいてそれらの線は必ずしも空間的な広がりを表さない点である。
図7~11の円と図12は、次の3つの問題を提起する。(1)図像学的類似例のうち、どれが本質的でどれが偶発的か。(2)ある図像の祖先は、何らかの重要性をもつのか、それともその図像の現在の機能を説明する唯一の側面なのか。(3)類似した表象が相容れないパラダイム間で用いられているという事実から、パラダイム・我々の心の構造・視覚言語の慣習について何かわかるのか。
問題3:同じ意味、異なる表象類型
前節では視覚的に類似した図像が異なる意味を表す例をみてきたが、今度は逆に、同じ意味を表すのに異なった図像を用いる例をみていく。そのために、キミアのテクストにおける水銀を取り上げる。
図13は宗教的錬金術的表現の伝統に基づき、はっきりと水銀を表象している。下部のドラゴンは水銀の蒸気を、中央の(キリストと聖母マリアの)両性者の手の中にいる蛇と賢者の石(金と銀を生み出す力が絵全体で表現されている)は水銀を、それぞれ示している。
図14では、金や銀が煆焼されて消滅するところが示されている。図13と14は、3つの金属を同じような隠喩や寓話の形式で表しているように思えるが、図13がキリスト教の発想に基づいて水銀の物理的特徴を描こうとしているのに対して、図14はエジプトや占星術に則っており、水銀の物理的特徴を示してはいない。またこの2つの図は金と銀もそれぞれ異なったやり方で表象している。図13では[水銀から金や銀が作られるという]化学的変化が、水銀の川で育てられた木が金や銀の果実をつけているという形で表されているが、図14では金と銀は擬人化され、色でしか同定できない。
図15では、少女が騎士によって炎から守られている様子が描かれており、水銀の炎への耐性が乏しいことや、他の物質と結びつけば炎の影響を避けられることが表現されている。図15に付随するテクストは図13・14のものとあまり変わらないが、図15は他の2つと決定的に異なる。それは、女性・騎士・炎の周りの風景が象徴的な役割をもっているのか、ただの装飾なのかは、玄人にしかわからないという点である。風景がただの装飾であれば、図15は、風景の中で象徴を示す性質と、キミアでないものの中でキミアの図像を示す性質の二つをもっており、この両義性はテクストから図像への変化を思い起こさせる。
図15では、少女が騎士によって炎から守られている様子が描かれており、水銀の炎への耐性が乏しいことや、他の物質と結びつけば炎の影響を避けられることが表現されている。図15に付随するテクストは図13・14のものとあまり変わらないが、図15は他の2つと決定的に異なる。それは、女性・騎士・炎の周りの風景が象徴的な役割をもっているのか、ただの装飾なのかは、玄人にしかわからないという点である。風景がただの装飾であれば、図15は、風景の中で象徴を示す性質と、キミアでないものの中でキミアの図像を示す性質の二つをもっており、この両義性はテクストから図像への変化を思い起こさせる。
図16は水銀の別の擬人化の例であり、[ギリシャ神話に登場する]神々の使者ヘルメス(ローマ神話のマーキュリーMercuryにあたる)の姿をしている。しかし図像のヘルメットとサンダルの化学的シンボルがなければ、水銀mercuryか水星mercuryかは判別できない。このシンボルの位置によってBecherは、水銀の気化したvolatile状態と反応しないfixed状態を区別した。即ち、純粋な水銀と水銀の昇華物は空中に、水銀の沈殿物と辰砂[=水銀の原鉱]は地面に割り当てた。
図17は図16より1世紀ほど古いもので、[ローマ神話の]マーキュリーだと判別できる点は翼のついたヘルメットのみである。図16と対照的に、図17は多くの寓話的含蓄がある。また図15が付随するテクストより豊かな情報をもつのに対して、図17はむしろテクストの方が多くの情報をもつ。
図18はこれまで見てきた図像と大きく異なり、人ではなく、1つの円が2つの五角形に囲まれているが、これも同様に水銀を表している。Hartsoekerは水銀が金を溶かす理由を、丸い水銀粒子が[五角形の]金の分子の隙間に入り込んでバラバラにしてしまうからだと考えた。図18はそのようにバラバラになった金と水銀粒子の混合物であるアマルガムを示している。
図19で示されている、円の上に半円が、下に十字がくっついている記号は、水星を表すものから転じて水銀も表すようになった。ここで記号sign・シンボルsymbol・図像imageの関係とは何かという問いが生じるが、これは前述の文字・言葉・図像の関係に立ち戻ることになるため、ここでは答えられない。図20は賢者の石のシンボルであって、金・銀・水銀のシンボルの組み合わせである。これはその後人型の図に変えられていく。
問題4:「図像」の類型学的名称
これまでの節では図像imageという言葉を区別なく用いてきたが、ここで類型学的な名称についての問題を扱う。
最近の研究の多くは、テクストでなく図の体裁をとったもの全てに、symbol・image・Bildなど、単一の包括的な用語を用いてきたが、そのような用語の使用は、技術に関する文献におけるより詳細な定義によって衰えている。一方歴史家は、用語の類型化を比較的ためらいがちであった。ここから、過去も現在も認識的図像においては標準的な語彙や合意された類型学は存在しないといえる。また、現在使われている用語が過去に使われていた用語と一致しない点も問題を悪化させている。
この不一致は3つの原理的要因による。1つ目は、歴史的資料そのものが用語的正確さを欠いていることである。例えばFiguraという言葉は現在のimageとほぼ同じ意味だが、sicut haec figura docetというフレーズにおけるfiguraは、テクストを伴うこともある数学的・図表的・表象的図表のいずれも含んでいた。2つ目は1つ目と反対に、過去の人物は用語を厳密に用いていても、それはあくまでその個人の用例の範疇を出ないことである。例えばBrunoは図像に関する用語として12以上定義したが、それは一般的なものではない。3つ目は1つ目と2つ目の複合であり、複数の人物がそれぞれの専門的な語彙を用いていて、それをまとめると用語が混乱することである。例えば、光が目に届くとはどういうことかを書いた記述で、「物の表象」といった意味の単語としてimago ・forma・simulachrumなど6つも挙げられており、著者であるFabrizio di Acquapendenteが混乱しているのがわかる。
問題5:認識論と形而上学をもたない図像学はない
Brunoが明確な定義で用語の分類を試みたのは、用語が手に負えないほど多様で曖昧だったからだった。彼が理解していたように、図像における用語は哲学的な枠組み、特に形而上学的・認識論的想定に依拠している。
Aristotle主義者は、物事を認識するには五感があれば十分であり、事物を構成している微小粒子の構造のモデル化のような自然現象の視覚化は必要ないと考える。そのためAristotleやGalenの著作あるいはその翻訳には、図がほとんどない。
一方Descartesは、感覚は疑わしいものであるため、精神による表象によって世界を説明すべきだと考える。彼によれば、精神による表象は第二性質を生み出す微粒子と一致する。例えば色は、太陽光線の圧力が視覚器官に作用した結果、知覚の上でのみ生じる性質であるとされる(図21における線Gはこの太陽光線の圧力を示している)。「知覚できない微粒子の形や動きをどのようにしたら知りえるか」という問いは彼の中心問題であったが、それへの答えは生理学的な変化の機構(図22)、刻印imprintingのアナロジー(図23)などを用いた帰納的・確率的なprobabilisticものであった。また彼の哲学においては、我々の目の構造や機能は説明できても(図24)、なぜ現にこのように見えているかについては説明できない(見ている対象の本質について説明できないのは言うまでもない)。
Descartesに限らず、ある人物の認識的図像を理解するには、その人物特有の哲学的文脈を踏まえる必要がある。例えばMarsilio Ficinoの文脈はAristotleやDescartesのものとは全く異なり、生きている天体の想像や精神から送られたギフトを、石に刻んだ図像によって強めることができるとされる。石に刻まれる図像は幾何的なものである場合も、天体の比喩である場合もある(図25は土星の比喩である)。
前述のBrunoはFicino的な伝統に立っており、image・sign・ideaのそれぞれの間の関係やその対象との関係を明確化しようとした上に、図像学的用語が各人の形而上学や認識論に依存していることを当時誰よりも意識していた。ここで再度Brunoに立ち返ることにする。彼のOn the Composition of Images, Signs and Ideasでは、彼の様々なタイプの図像の関係が依拠している哲学的システムが示されている。まず新プラトン主義的な世界の3つの区分が提示され、1つ目はイデアのある神の世界、2つ目はイデアの痕跡traceを含む自然界natural world、3つ目はイデアの影shadowのみが捉えられる、我々の魂が存在する世界である。我々の心はいわば生ける鏡であり、自然の事物natural thingsの図像image/imagoや神のdivine事物の影を映すものとされる。Brunoは、人間の心はそれらを映すだけでなく、それらを理論や実践において役立つような、より意味のあるimage・sign・ideaを創り出せると確信していた(前述の彼による図像の12分類はここで導入される)。
視覚世界が神の世界の一つの図像だと考えられる状況、言い換えれば心が物理的実態の視覚的認知に基づいてイデアを再構成する状況では、図像は増殖し、交差し、互いが互いの二次的・三次的鏡像になる恐れがある。そのため、図像を定義する際には視覚世界・神の世界との関係に注意しなければならない。したがってBrunoは「様々な[視覚的]指示の定義」を著したが、その語彙は哲学的要素に強く依拠していることがわかる。
対立からの証拠
これまでの節で、[図像に関する]歴史的語彙の不正確性と流動性を見てきた。Aristotle・Descartes・Ficinoのいずれにおいても、figuraもimagoも同じ意味をもたないし、科学的図像の名前・意味・地位のいずれもが図像の哲学的枠組みに依存している。そのように図像の意味が不確かであっても、図像の地位についての論争は数多く存在している。そのような論争は必ず、相反する科学的・哲学的理論同士の対立と同時に起こっている。
論争の例の1つ目は、Ficinoが偶像崇拝として図像を用いているという非難に反論したというものである。2つ目は、Robert FluddとKeplerの間のもので、Fluddが大-小宇宙のmacro-microcosmic哲学を図像で示そうとした一方、Kepler は幾何的な証明で対抗した。3つ目はThomas Browneが、動物についてのあり得ない描写に対して、(図が間違っているという点ではなく)[動物についての]理論的基盤を理解していないという点で非難したというものである。このように、図像による表象が理解されない原因を図像と理論どちらに求めるかは避けがたい話題であり、4つ目のAndreas Libaviusによる非難にも関係する。彼はギリシャの哲学者Anaxagorasの考えを示した図像で、不当に聖書が用いられていると考えた。5つ目はDescartesの微粒子を描いた図像に対するもので、とまどいを示したり、形而上学を排して理論を再構成したり、目に見えないものとして一笑に付したりといった反応があった。
以上の例では、あるタイプの図像の正当性が問われている。認識的図像にある種の力を与えているのは何だろうか。また図像の力はテクストに由来するのだろうか、あるいは逆にテクストの力が図像に由来するのだろうか。
結論
科学においては用語の正確な定義が不可欠である。それは認識的図像の分野でも同じはずだが、実際には用語の使用は洗練されておらず混沌としている。
歴史的な話になると、用語をめぐる状況はさらに悪化する。機械によって生み出された図像の存在は中世・近世の研究の射程に入っておらず、図像が機能している認識的・形而上学的前提・図像を生み出した実践・図像の意味や含蓄は、推測困難なだけでなく、ほとんどの学者に関心をもたれない。歴史上のテクストと図像の扱いの差がそれを示唆している。この理由は、歴史上の図像の作り手・使い手自身が、図像の地位を定義せず曖昧なままにしたことにある。
科学的実践における他の道具と同様に、図像は科学理論そのものにとってはあくまで補助的なものであり、したがって科学的に通意を向けるに値しないと見なされていた。しかし他の道具と同様、図像は科学の総体の一部を創り出すものである。
新しいタイプの認識的図像が導入されている最中に、[図像の、それが前提としている]ある理論の中での地位・機能・役割がきちんと議論されるようにすることは重要である。普及している科学のパラダイムに新しい図像が受け入れられ、組み込まれると、図像は科学的実践の不可欠の要素となり、特定の哲学的前提は消失してしまうためである。多くの場合図像は、改めて問われることなく科学の重要な視覚的要素となり、歴史家は図像を正確に解読できなくなる。
依然として欠けているのは認識的図像の哲学的歴史を描くこと、即ち著者や画家の認識的価値の理解や図像の機能性を反映し、思考を規定する様々な思想の分析的分類学を作ることである。
0 件のコメント:
コメントを投稿