2015年10月21日水曜日

「脳死=人の死」正当化への批判 Brugger(2013)

E. Christian Brugger, “D. Alan Shewmon and the PCBE’s White Paper on Brain Death: Are Brain-Dead Patients Dead? ,” Journal of Medicine and Philosophy, 38(2013): 205218.

 卒論で言及した論文のまとめです。2008年に出された米大統領評議会白書の内容は、全脳死基準に対するアラン・シューモンの批判を乗り越えようとしているものの、シューモンの批判は依然として有効であることが指摘されています。

1. 脳死に関する大統領生命倫理評議会(PCBE
200711月、[米国]大統領生命倫理評議会(以下PCBEとする)は脳死の話題を取り上げた。大統領評議会で脳死が取り上げられたのは、1981年の『死の定義における医学的・法的・倫理的問題に関する報告書』(以下『報告書』とする)以来である。『報告書』では、1983年に公表されたいわゆる「ハーバード基準」の理論的根拠となる、死の定義の神経学的基準が提示された。
『報告書』は、死は全脳の機能の不可逆的喪失によって示され、ハーバード基準がその喪失の指標となっていることを主張している。また、脳を身体の統合性の「管理者regulator」と定義し、さらに死を身体の統合性の喪失と定義することで、全脳が不可逆的に機能停止すれば有機体即ち人間は死に至ると結論している。これは死の「生物学的定義」と呼ばれており、脳が全体的・不可逆的に破壊destructionされている患者はこれを満たしていると『報告書』は論じている。

2. シューモンの異議
PCBEでは2007年秋の会合に向けて「死の定義における論争」と題した白書の草稿の回覧が行われた。当時[死の]神経学的基準に異議が出ていたことから、PCBEは全脳の不可逆的破壊と有機体の生命との関係について熟考しようと努めたものの、草稿の内容は『報告書』の内容を再度主張するものだった。2007119日、PCBEは草稿へのコメントを求めるべく、UCLAメディカルセンターの小児神経学の教授であるD・アラン・シューモンを招致した。彼は死の神経学的根拠の著名な批判者である。彼は会合の冒頭で、白書で支持されている「生物学的基準」は米国・英国両方で支配的であり彼自身の見解とも一致するものの、脳の破壊はこの基準を満たしていないと述べた。
シューモンは、1980年代には死の定義として大脳死基準(死を[大脳の]新皮質の機能に帰着させる)を採っていた。しかし皮質を持たない水無脳症児を診たことをきっかけに、大脳死基準を放棄し、全脳死基準を擁護するようになった。そして1992年には、全脳破壊と診断された後も生命維持処置を続けられた少年を診たことから、彼は全脳死基準も放棄することとなった。少年は亡くなるまでの間、身体の統合性を比較的高水準で示したため、シューモンは、死に至ると身体の統合性が失われるという考えと神経学的基準はいずれかが間違っていると考え始めた。さらに彼は、頸髄損傷[=脊髄損傷のうち首の部分の脊髄の損傷]と全脳死の生理学的影響は、意識の有無以外全く同じであることを発見した。頸髄損傷の患者は意識があるが死んでいると言うのは馬鹿げており、したがって意識の有無以外それと同一である全脳死患者を死んでいるとは言えないとして、彼は全脳死基準を放棄すべきだと結論した。
シューモンはPCBEの会合において、脳死した身体は統合性を失っているという見方とはっきり矛盾する症例をいくつか提示した(ホメオスタシスを維持する・成長する・麻酔なしで切開すると循環器とホルモンに反応が出る・妊娠を継続する・第二次性徴を示すなど)。また彼は、身体の統合性は、脳によるトップダウン式で局所的な機構ではなく、身体の全ての部分の協働による非局所的な機能であり、脳はあくまで調整役にすぎないと指摘した。彼のプレゼンはPCBEのうち数人を著しく当惑させたものの、それによって、脳が破壊されれば身体のシステムがばらばらになるという考えが崩されたとは誰も考えなかった。
200812月、PCBEは脳死に関する白書(以下WPとする)を公表した。白書で脳死論議への近年の異議を扱うのに費やされている努力に、PCBEがシューモンの主張をいかに真剣に取り上げているかが表れている。

3. 2008年のPCBE白書
 WPは全7章からなり、第4章で「全脳不全(total brain failure、以下TBFとする)の患者は本当に死んでいるのか」という中心的な問いを扱っている。これへの応答として、シューモンの見解とPCBEの統一見解という、対立する2つが述べられている。
 全脳死基準の初期の擁護者の主張は以下のようなものであった。生命ある有機体living organismであるためには、その存在は生命ある統一体wholeでなければならない。身体の個々の部分が生きていることと有機体として生きていることは別である。したがって有機体としての死は、生命ある組織全ての破壊ではなく、統合された身体の生気unified bodily animationの停止と同一視されるべきである。生命ある有機体の統一性living organismic wholeness統合された身体活動integrated somatic activityによって示され、また脳は身体の統合性を支配する器官master organと考えられている。したがって、全脳が破壊されれば統合性の源が破壊され、身体の活動はばらばらになり、全体としての有機体organism as a wholeは存在しなくなる。
 シューモンの挙げた症例は、全体としての有機体に統合性を与えるのは脳であるという想定を放棄するよう迫るものである。彼は脳活動と身体の統合性との間に必ずしも関係があるわけではないと主張する。例えばTKという患者は、4歳から20年にわたって人工呼吸器を装着していたが、ホメオスタシス維持など身体の統合性と呼べる機能を示した。しかし彼の検死解剖の結果、脳や脳幹は消失しており、残骸も石灰化していた。ここで、TKの身体が示していた統合性は、全体としての生命ある有機体whole living organismの存在の指標といえるのかという問いが生じる。これに対する立場は2つに分かれるが、1つは統合性を全体としての生命ある有機体の存在の指標とみなし、TKのような患者を[生命ある]人間とみるものである。
 WPは、統合性が全体としての生命ある有機体の存在の指標であるなら神経学的基準は放棄されねばならないことを認める上に、脳は支配役ではなく調整役であるというシューモンの主張も受け入れる。その一方、「統合性」という概念および脳がその「統合者」であるという想定を破棄し、「より説得的な」理論的証拠を提示する。即ち、我々は有機体の生死を「生命ある有機体の基本的な生命活動vital workの持続あるいは停止」と同一視するため、そのような生命活動の停止の現れを死の臨床的基準とすればよいというものである。
 ここでいう「生命活動」は自己保存活動、つまり意識のある生物が行う多くの活動(食べる、寝る、服を着る、入浴するなど)として現れる。またそれらは、有機体が外界と相互作用する際の内的な強欲求felt inner needの現れである。言い換えれば、生命ある有機体は、生命をもたない存在物と異なり、外界と相互作用するための強欲求felt needをもち、生命を維持するための資源を求めて活動する。これこそが有機体の基本的な活動であるとWPは述べている。
 有機体がこの活動を行うにあたっては、次の3つの能力が仮定されている。(1)外界からの信号や刺激を受け取ること、世界への開放性opennessをもつこと。これはPVS[遷延性意識障害]の患者にも見られる。(2)基本的欲求を獲得するために周囲の環境で活動すること。自発呼吸が典型例である。(3)有機体が強欲求を経験すること(その際必ずしも意識がなくてもよい)。即ち、環境への受容力・環境における活動・外界とのやりとりのための強欲求の経験である。WPは、これらのいずれもが脳死患者には見られないと指摘し、脳死患者は人工呼吸器によって死が訪れているという事実が隠されている「人工物」であると結論している。

4. WPの議論を評価する
 WPは自発呼吸を、3つの能力が損なわれていないことの証拠として非常に重要視している。生命を維持する酸素への強欲求を経験することで、身体は行動を起こし外界から資源[=酸素]を獲得する。またWPは自発呼吸と人工呼吸器による呼吸を明確に区別し、前者を全体としての有機体である確かなサインであると見なす一方、後者は強欲求によるものではなく人工的なものであり、全体としての有機体のサインではないと主張している。
 シューモンは自発呼吸の重要性に疑義を抱いている。子宮内の胎児や人工心肺装置を装着した患者は、気体の出入りがなくても生きており、身体的に統合されているからである。また彼がより重視するのは細胞レベルでの呼吸であって、それは脳死した身体でも行われているものである。しかしWPは、自発呼吸のない状態での酸素の交換は、強欲求を欠いており、生命活動の単なる真似事であると主張している。

批判
 有機体の「基本的活動fundamental work」という言葉はWP特有のものだが、3つの能力として示されている言葉の内実は新しいものではなく、ハーバード基準を哲学的に正当化するために焼き直したものである。2つを並べてみるとそれらの類似性が見えてくる。

○ハーバード基準:以下の観察可能な徴候は全脳の損傷の確実な指標であり、これらが確認されたとき「死は宣言され、その後人工呼吸器はスイッチを切られる」。
・無感覚…外部からの刺激や内的な欲求に対して全く気付かないこと。
・無反応…最も痛みの強い刺激に対しても全く反応がないこと。
・無体動…自発的な筋肉の運動、自発呼吸、刺激への反応がないこと。
・無呼吸…自発呼吸が完全に消滅していること。
・無反射…瞳孔が固定・散大し光源に反応せず、眼球の動きや瞬きもないこと。
WP:以下の三つの表現は有機体の生命ある活動が停止していることを保証する。
・無感覚…外界からの信号や刺激を全く受容しない。瞳孔が固定・散大して光源を追わず、痛みを避けず、液体を飲みこまず、外界へのどんな開放性も示さない。
・相互作用がないこと/無反応…基本的欲求に対し完全に受動的である。自発呼吸を全くしようとしない。
・強欲求がないこと…周囲の環境に手を伸ばしたり自己保存の資源を獲得したりするための強欲求に全く気付かない。

両方とも死の訪れの指標が示されている。前者は脳の永続的な機能停止を診断するための臨床的指標であり、それは患者の死と一致すると想定されていた。後者は生命に不可欠な能力の喪失の現れであり、「有機体の生命活動」という格調高い言葉を用いることで、前者で問題となった「全脳の不可逆的破壊に陥った人はなぜ死んだとされるのか」という問いに対して「脳死の身体は生命活動が停止しているから」と応答している。
 ここではハーバード基準のTBF診断に対する妥当性や、WPによる死の哲学的定義の妥当性を問うことはしない。ここで問いたいのは次の二つの想定である。(1)TBFに陥った患者は生命活動を決定的に停止している。(2)したがって、そのような患者は実際に死んでいると道徳的に確信できる。
 WPでは脳死した身体は有機体として生命活動を停止していると論じているが、脳死した身体は別の仕方でそれを示していると考えられる。例えばホメオスタシスの維持や塩分・尿素の尿による排泄は、そのような能力の現れであるといえる。また栄養摂取も例の一つである。脳死患者は食べたり飲んだりできないが、体内に機械的に栄養が供給されれば、身体は複雑な消化活動を行う。さらに、傷が治ることも例の一つであろう。外界からの侵襲にさらされると、身体は複雑な過程を経てかさぶたを作ったり傷の修復を行ったりする。同様の過程は脳死の身体が感染症と戦うときにも起こる。体は自己と非自己を区別し、自己を非事故から守るために攻撃する。
 これらの例では有機体の「基本的強欲求」が感覚され、それによって身体の調整がなされている。しかし厳密にいえば、TBFの患者は知覚活動を示さないため「強欲求」をもたない。WPは、強欲求の感覚は必ずしも意識を伴うことを意味しないと述べて言葉の解釈を回避しているが、もしそうであればこの言葉は比喩的に解釈されねばならない。上記の例では、強欲求は潜在的に危険なあるいは有益な生物学的過剰あるいは欠乏の身体的現れであると想定されているが、これらはまさに脳死した身体でも起こっていることである。また脳死した身体が示す生理学的調整は、外界との相互作用を構成し、WPが生命の明らかなサインだとするものである。したがってWPはこのような言葉の解釈は広すぎるとして退けるだろう。
 またWPでは、強欲求の典型例は自発呼吸であるとされているが、なぜ呼吸動因drive to breatheがホメオスタシス制御などの他の動因とは異なるのかについて、実質的な議論は示されていない。
 さらに、脳死患者は欲求に応答する能力をもたないと述べる以上のこと、即ち脳死患者が酸素への欲求を経験していないことまでは言えないと思われる。意識のある無呼吸の患者は、脳死患者と同様に自発呼吸をしないあるいはできないが、酸素を肺に送れば患者の身体は必要なものを吸収し、高酸素状態と低酸素状態の間のバランスを取る。同じことがTBF患者の身体でも起こっているのではないか。

5. 結論
 有機体は、各部分が全体のために機能する生命ある身体であるため、身体の非組織化は有機体の死であるといえる。しかしWPは、脳が身体機能の支配的な統合者であるという見方を廃棄しただけでなく、有機体の身体の統合性が停止することが死であるという考え方をも却下した。その考え方は、TBFの患者は死んでいるという直感を支える「全体性wholeness」を用いた説明と符合する。だが、脳死患者が脳によって調整されているわけではない高度な秩序を示しているなら、WPの結論は正当化できない。
 現在の科学が、TBFの患者は生きているという明白な結論に達しているとは思わない。しかし現在の証拠は、彼らは必ずしも死んでいるとはいえないのではないかと疑う十分な根拠を提示している。それらの疑いが取り除かれるまで、彼らを生命ある人間として扱うことが倫理的である。

2015年10月11日日曜日

科学における認識的図像 Lüthy and Smets(2009)

Christoph Lüthy and Alexis Smets, 2009, “Words, Lines, Diagrams, Images: Toward a History of Scientific Imagery,” Early Science and Medicine 14: 398-439.

 授業で扱った論文のまとめです。

イントロダクション
美術史家・科学史家・科学哲学者は過去15年くらいで、認識的図像epistemic imagesに着目して研究してきたが、そこでは(1)図像と図像でないものを分ける、時代に左右されない基準がある、(2)図像は時代を超えた、極めて安定した存在論的・認識的地位をもっている、(3)図像の安定した分類学の確立が可能である、という3つの想定がなされていた。これらは疑わしく反駁の余地がある。本稿の目的は、認識的図像への歴史を超えた、本質主義的アプローチの問題を指摘し、図像をめぐる認識的・存在論的・教育的想定を考慮に入れたアプローチを提案することである。

問題1:言葉と図像の曖昧な境界線
[CohenAlbum of Scienceシリーズの著者の一人である]John Murdochは、言葉がページを超えて自らを形作り、その過程で図像という形態への第一歩が踏み出される部分に注意を払った。現代の議論においては、単に図像をテクストとして扱うか、逆に言葉と図像の本質的な差異を想定するため、Murdochのような観点は欠けている。彼は、ギリシャ語のgrafeinが文字・図表・図像のいずれかを問わず「石版に刻む」の意であること、grafis(石筆)で描かれた線はドローイング・文字・テクストのいずれにもなるが、grafe/grammaという言葉はそれら全てを含みこむ意味をもつことを指摘している。またヒエログリフにおいては、ドローイングと文字の区別はなく、文脈に応じて判断される。
James Elkinsは、Nelson Goodmanによる図像の区別(文書・記号・図)を批判し、ほぼ全ての図像は3つの区別が混ざったところに位置すると論じた。Murdochの論はこのElkinsの論と共通点をもつと思われる。Murdochは言葉から図像への発展を4つの段階として捉えている。即ち、議論が表やテクストボックスにまとめられる段階(図1)、言葉同士が論理関係を示す線で結ばれて二叉分枝のようになる段階(図2)、二叉分枝が樹形に組織化される段階(図3)、樹形図に葉や林檎や周りの風景が描き込まれる段階(図4)である。このような連続性は、テクストと図像の間にはっきりした境界線はないことを示している。
言葉が図形に、図形が図像に容易に変わることで、認識的図像の類型学・分類学は困難となり、認識的図像の機能や役割を一般的なやり方で明らかにすることは不可能となり、言葉・概念・理論・図像の間の関係をはっきりさせる試みはだめになる。

問題2:同じ形状、異なる意味
この、二叉分枝が樹形図へ容易に変化する現象は、歴史的に立証される。例えばDarwinのノートへの記載(図5)は、アイディアが言葉になる前に視覚的な形をとって現れたものである。この記載をErnst Haeckelの樹形図(図6)と比較してみると、どちらも種の分岐を表しているが、線が伸びている方向が一定かバラバラか・線の広がりに目標があるかランダムか・線の分岐が論理的な対比と分岐のどちらかを表すのか両方を表すのか、といった差異がある。
形態学的に同じように見えても、意味は全く異なる例が存在する。1つの円を同じ半径の6つの円が取り囲んでいる4種類の図像(図710)はその顕著な例である。図7は「6」と「円の完全性」を象徴している。図8は図7と形はそっくりだが、[創世記における、神の]6日間の創造と7日目の休息を表している。図9Brunoによるもので、宇宙の構造を示している。図10も同じくBrunoによるものだが、図9の円が世界worlds (mundi)を表していたのに対し、この図の円は原子を表している。図910は意図的に似せて描かれており、図10の四隅の星は原子的構造が宇宙的構造と類似していることを示している。一方、図11は近年の物理学の論文に出てくるもので、黒い7つの円は銀原子の七量体を表している。形態学的にいえばこの七量体は図10の系譜にあるが、図117つの円が分割可能な銀の原子を示しているのに対して、[10]Brunoによる7つの円は、分割不可能で魂を吹き込まれたensouledものであり、2つは共通点をもたない。図711の例は、形態学的にいえば何世紀もそのまま残存していたように見える図像であっても、単一の意味や名前を与えることは不可能なことを示している。
形と意味が一致しない最も顕著な例は、図表ともグラフともとれるような、二つの座標の間に一本の直線が引かれた図である(図12)。幾何的な図とグラフの大きな違いは2つあり、1つ目は、グラフは目盛りを示す軸として垂直な線・平行な線が定義されている点、2つ目はグラフにおいてそれらの線は必ずしも空間的な広がりを表さない点である。
711の円と図12は、次の3つの問題を提起する。(1)図像学的類似例のうち、どれが本質的でどれが偶発的か。(2)ある図像の祖先は、何らかの重要性をもつのか、それともその図像の現在の機能を説明する唯一の側面なのか。(3)類似した表象が相容れないパラダイム間で用いられているという事実から、パラダイム・我々の心の構造・視覚言語の慣習について何かわかるのか。

問題3:同じ意味、異なる表象類型
 前節では視覚的に類似した図像が異なる意味を表す例をみてきたが、今度は逆に、同じ意味を表すのに異なった図像を用いる例をみていく。そのために、キミアのテクストにおける水銀を取り上げる。
 図13は宗教的錬金術的表現の伝統に基づき、はっきりと水銀を表象している。下部のドラゴンは水銀の蒸気を、中央の(キリストと聖母マリアの)両性者の手の中にいる蛇と賢者の石(金と銀を生み出す力が絵全体で表現されている)は水銀を、それぞれ示している。
 図14では、金や銀が()(しょう)されて消滅するところが示されている。図1314は、3つの金属を同じような隠喩や寓話の形式で表しているように思えるが、図13がキリスト教の発想に基づいて水銀の物理的特徴を描こうとしているのに対して、図14はエジプトや占星術に則っており、水銀の物理的特徴を示してはいない。またこの2つの図は金と銀もそれぞれ異なったやり方で表象している。図13では[水銀から金や銀が作られるという]化学的変化が、水銀の川で育てられた木が金や銀の果実をつけているという形で表されているが、図14では金と銀は擬人化され、色でしか同定できない。
 図15では、少女が騎士によって炎から守られている様子が描かれており、水銀の炎への耐性が乏しいことや、他の物質と結びつけば炎の影響を避けられることが表現されている。図15に付随するテクストは図1314のものとあまり変わらないが、図15は他の2つと決定的に異なる。それは、女性・騎士・炎の周りの風景が象徴的な役割をもっているのか、ただの装飾なのかは、玄人にしかわからないという点である。風景がただの装飾であれば、図15は、風景の中で象徴を示す性質と、キミアでないものの中でキミアの図像を示す性質の二つをもっており、この両義性はテクストから図像への変化を思い起こさせる。
 図16は水銀の別の擬人化の例であり、[ギリシャ神話に登場する]神々の使者ヘルメス(ローマ神話のマーキュリーMercuryにあたる)の姿をしている。しかし図像のヘルメットとサンダルの化学的シンボルがなければ、水銀mercuryか水星mercuryかは判別できない。このシンボルの位置によってBecherは、水銀の気化したvolatile状態と反応しないfixed状態を区別した。即ち、純粋な水銀と水銀の昇華物は空中に、水銀の沈殿物と辰砂[=水銀の原鉱]は地面に割り当てた。
 図17は図16より1世紀ほど古いもので、[ローマ神話の]マーキュリーだと判別できる点は翼のついたヘルメットのみである。図16と対照的に、図17は多くの寓話的含蓄がある。また図15が付随するテクストより豊かな情報をもつのに対して、図17はむしろテクストの方が多くの情報をもつ。
 図18はこれまで見てきた図像と大きく異なり、人ではなく、1つの円が2つの五角形に囲まれているが、これも同様に水銀を表している。Hartsoekerは水銀が金を溶かす理由を、丸い水銀粒子が[五角形の]金の分子の隙間に入り込んでバラバラにしてしまうからだと考えた。図18はそのようにバラバラになった金と水銀粒子の混合物であるアマルガムを示している。
 図19で示されている、円の上に半円が、下に十字がくっついている記号は、水星を表すものから転じて水銀も表すようになった。ここで記号sign・シンボルsymbol・図像imageの関係とは何かという問いが生じるが、これは前述の文字・言葉・図像の関係に立ち戻ることになるため、ここでは答えられない。図20は賢者の石のシンボルであって、金・銀・水銀のシンボルの組み合わせである。これはその後人型の図に変えられていく。

問題4:「図像」の類型学的名称
 これまでの節では図像imageという言葉を区別なく用いてきたが、ここで類型学的な名称についての問題を扱う。
 最近の研究の多くは、テクストでなく図の体裁をとったもの全てに、symbolimageBildなど、単一の包括的な用語を用いてきたが、そのような用語の使用は、技術に関する文献におけるより詳細な定義によって衰えている。一方歴史家は、用語の類型化を比較的ためらいがちであった。ここから、過去も現在も認識的図像においては標準的な語彙や合意された類型学は存在しないといえる。また、現在使われている用語が過去に使われていた用語と一致しない点も問題を悪化させている。
 この不一致は3つの原理的要因による。1つ目は、歴史的資料そのものが用語的正確さを欠いていることである。例えばFiguraという言葉は現在のimageとほぼ同じ意味だが、sicut haec figura docetというフレーズにおけるfiguraは、テクストを伴うこともある数学的・図表的・表象的図表のいずれも含んでいた。2つ目は1つ目と反対に、過去の人物は用語を厳密に用いていても、それはあくまでその個人の用例の範疇を出ないことである。例えばBrunoは図像に関する用語として12以上定義したが、それは一般的なものではない。3つ目は1つ目と2つ目の複合であり、複数の人物がそれぞれの専門的な語彙を用いていて、それをまとめると用語が混乱することである。例えば、光が目に届くとはどういうことかを書いた記述で、「物の表象」といった意味の単語としてimago formasimulachrumなど6つも挙げられており、著者であるFabrizio di Acquapendenteが混乱しているのがわかる。

問題5:認識論と形而上学をもたない図像学はない
 Brunoが明確な定義で用語の分類を試みたのは、用語が手に負えないほど多様で曖昧だったからだった。彼が理解していたように、図像における用語は哲学的な枠組み、特に形而上学的・認識論的想定に依拠している。
 Aristotle主義者は、物事を認識するには五感があれば十分であり、事物を構成している微小粒子の構造のモデル化のような自然現象の視覚化は必要ないと考える。そのためAristotleGalenの著作あるいはその翻訳には、図がほとんどない。
 一方Descartesは、感覚は疑わしいものであるため、精神による表象によって世界を説明すべきだと考える。彼によれば、精神による表象は第二性質を生み出す微粒子と一致する。例えば色は、太陽光線の圧力が視覚器官に作用した結果、知覚の上でのみ生じる性質であるとされる(図21における線Gはこの太陽光線の圧力を示している)。「知覚できない微粒子の形や動きをどのようにしたら知りえるか」という問いは彼の中心問題であったが、それへの答えは生理学的な変化の機構(図22)、刻印imprintingのアナロジー(図23)などを用いた帰納的・確率的なprobabilisticものであった。また彼の哲学においては、我々の目の構造や機能は説明できても(図24)、なぜ現にこのように見えているかについては説明できない(見ている対象の本質について説明できないのは言うまでもない)。
 Descartesに限らず、ある人物の認識的図像を理解するには、その人物特有の哲学的文脈を踏まえる必要がある。例えばMarsilio Ficinoの文脈はAristotleDescartesのものとは全く異なり、生きている天体の想像や精神から送られたギフトを、石に刻んだ図像によって強めることができるとされる。石に刻まれる図像は幾何的なものである場合も、天体の比喩である場合もある(図25は土星の比喩である)。
 前述のBrunoFicino的な伝統に立っており、imagesignideaのそれぞれの間の関係やその対象との関係を明確化しようとした上に、図像学的用語が各人の形而上学や認識論に依存していることを当時誰よりも意識していた。ここで再度Brunoに立ち返ることにする。彼のOn the Composition of Images, Signs and Ideasでは、彼の様々なタイプの図像の関係が依拠している哲学的システムが示されている。まず新プラトン主義的な世界の3つの区分が提示され、1つ目はイデアのある神の世界、2つ目はイデアの痕跡traceを含む自然界natural world3つ目はイデアの影shadowのみが捉えられる、我々の魂が存在する世界である。我々の心はいわば生ける鏡であり、自然の事物natural thingsの図像image/imagoや神のdivine事物の影を映すものとされる。Brunoは、人間の心はそれらを映すだけでなく、それらを理論や実践において役立つような、より意味のあるimagesignideaを創り出せると確信していた(前述の彼による図像の12分類はここで導入される)。
 視覚世界が神の世界の一つの図像だと考えられる状況、言い換えれば心が物理的実態の視覚的認知に基づいてイデアを再構成する状況では、図像は増殖し、交差し、互いが互いの二次的・三次的鏡像になる恐れがある。そのため、図像を定義する際には視覚世界・神の世界との関係に注意しなければならない。したがってBrunoは「様々な[視覚的]指示の定義」を著したが、その語彙は哲学的要素に強く依拠していることがわかる。

対立からの証拠
 これまでの節で、[図像に関する]歴史的語彙の不正確性と流動性を見てきた。AristotleDescartesFicinoのいずれにおいても、figuraimagoも同じ意味をもたないし、科学的図像の名前・意味・地位のいずれもが図像の哲学的枠組みに依存している。そのように図像の意味が不確かであっても、図像の地位についての論争は数多く存在している。そのような論争は必ず、相反する科学的・哲学的理論同士の対立と同時に起こっている。
 論争の例の1つ目は、Ficinoが偶像崇拝として図像を用いているという非難に反論したというものである。2つ目は、Robert FluddKeplerの間のもので、Fluddが大-小宇宙のmacro-microcosmic哲学を図像で示そうとした一方、Kepler は幾何的な証明で対抗した。3つ目はThomas Browneが、動物についてのあり得ない描写に対して、(図が間違っているという点ではなく)[動物についての]理論的基盤を理解していないという点で非難したというものである。このように、図像による表象が理解されない原因を図像と理論どちらに求めるかは避けがたい話題であり、4つ目のAndreas Libaviusによる非難にも関係する。彼はギリシャの哲学者Anaxagorasの考えを示した図像で、不当に聖書が用いられていると考えた。5つ目はDescartesの微粒子を描いた図像に対するもので、とまどいを示したり、形而上学を排して理論を再構成したり、目に見えないものとして一笑に付したりといった反応があった。
 以上の例では、あるタイプの図像の正当性が問われている。認識的図像にある種の力を与えているのは何だろうか。また図像の力はテクストに由来するのだろうか、あるいは逆にテクストの力が図像に由来するのだろうか。

結論
 科学においては用語の正確な定義が不可欠である。それは認識的図像の分野でも同じはずだが、実際には用語の使用は洗練されておらず混沌としている。
 歴史的な話になると、用語をめぐる状況はさらに悪化する。機械によって生み出された図像の存在は中世・近世の研究の射程に入っておらず、図像が機能している認識的・形而上学的前提・図像を生み出した実践・図像の意味や含蓄は、推測困難なだけでなく、ほとんどの学者に関心をもたれない。歴史上のテクストと図像の扱いの差がそれを示唆している。この理由は、歴史上の図像の作り手・使い手自身が、図像の地位を定義せず曖昧なままにしたことにある。
 科学的実践における他の道具と同様に、図像は科学理論そのものにとってはあくまで補助的なものであり、したがって科学的に通意を向けるに値しないと見なされていた。しかし他の道具と同様、図像は科学の総体の一部を創り出すものである。
 新しいタイプの認識的図像が導入されている最中に、[図像の、それが前提としている]ある理論の中での地位・機能・役割がきちんと議論されるようにすることは重要である。普及している科学のパラダイムに新しい図像が受け入れられ、組み込まれると、図像は科学的実践の不可欠の要素となり、特定の哲学的前提は消失してしまうためである。多くの場合図像は、改めて問われることなく科学の重要な視覚的要素となり、歴史家は図像を正確に解読できなくなる。
 依然として欠けているのは認識的図像の哲学的歴史を描くこと、即ち著者や画家の認識的価値の理解や図像の機能性を反映し、思考を規定する様々な思想の分析的分類学を作ることである。