2016年6月29日水曜日

科学史における本とアーカイブ Yale(2016)【Isis Focus:アーカイブズの歴史と科学史】

Elizabeth Yale, 2016, “The Book and the Archive in the History of Science,” Isis 107(1): 106115.

 科学史において科学的知識の生産を論じるにあたって、特に初期近代の博物学者や医師が、どのように自身の書類paperを整理していたかという点が近年注目されている。17世紀の学者にとって書類整理paperworkは、自分の死後にも自然哲学の営みを繋いでいくためのものだった。しかし、彼らの死後書類がどのように用いられたり価値づけられたりしたのか、また家族や周囲の人々に引き継がれていくうちにどのように変化したのかについては、これまであまり問われてこなかった。
これらの問いを検討する際に、アーカイブズの歴史を参照することは非常に有用である。アーカイブズの歴史家は、個々のアーカイブに着目し、綴込みや認証の手続きにおいて作用する力や、記録の意味・使用の変化を示してきた。しかしそこで描かれているアーカイブの歴史は、組織や国家による管理を前提としている。それと、個人による書類の管理をひとまとめにして論じることは、個々の歴史的経緯を誤解させる危険があるため、それらは分けて考察するべきである。
個人によって管理されていた書類の死後出版をめぐる以下の二つの事例は、初期近代の科学的・医学的書類の行方が遺された人々の目的や立場に大きく依存すること、さらに書かれたものと印刷物の関係を明らかにする。
まず、17世紀中頃におけるイギリスの著名な医師Culpeperの事例を検討する。彼の死後、印刷工のColeBrook、そして彼の妻Aliceは、誰が彼の遺稿を管理するかをめぐる論争に関わっていた。彼の遺稿の正当性を保証するために、ColeBrookはそれぞれ、遺稿を出版する際に、その正当性を証言するAliceの手紙を序文に載せた。一方Aliceは、遺稿の正当性を疑う人々を自宅に招き、直接面会することで正当性を納得させた。この事例では、Culpeperの遺稿が金銭的利益を生むものとして理解されている。
次に、イギリス王立協会の会員だった博物学者Rayの事例を考察する。1705年に彼が亡くなった後、彼の妻Margaretは、彼の著作や書類、書簡を、財政的援助の獲得のために用いた。それに対して彼の友人だったDaleSloaneDerhamは、遺稿を感情に結びつくものとして扱い、彼の人となりを伝えるような書簡集を出版した。Derhamは書簡集の序文でMargaretに、彼の遺稿を使用させてくれたことに対する感謝を述べているが、この序文は遺稿の正当性を保証するものとしても機能している。そして彼の遺稿は、Margaretの手を離れて彼の友人らに渡ると、その子どもや親戚に引き継がれ、最終的に博物館に売却されるなどして公的なアーカイブとなるに至った。この事例におけるRayの遺稿は、妻Margaretにとっては先程と同様に金銭的利益を生むものであった一方、彼の友人たちにとっては彼の思い出を残すものだった。
これらの事例のように、ある人物の死後、そのノートや書簡をまとめて出版する場合には、その本は一種のアーカイブといえる。出版されることで、自宅での管理による紛失や強奪を免れると同時に、時間や空間を超えて広まり、後世まで残る可能性がある。そしてその時点ではノートや書簡などの価値が不明確でも、後世の誰かにとって有用なものとなるかもしれない。初期近代においては、本とアーカイブの境界は必ずしも明確ではないのである。

そして、印刷物はそれだけでは自身の正当性を保証できず、書かれたものあるいは直接の面会を通じて正当性を確保していた。その際に大きな役割を果たしたのは、故人の妻としての女性である。