Rens Bod and Julia Kursell,
2015, “Introduction: The
Humanities and the Sciences,” Isis 106(2):
337–340.
C. P. Snowに端を発する「二つの文化」論争は過去のものとなった。科学史家はこれまで、科学への文化的・社会的影響や科学における人文学的手法の役割を指摘してきた。しかしながら、科学と人文学を対等にかつ統合的に描く歴史記述は未だなされていない。
人文学の歴史においても科学史においても、人文学あるいは科学とは何かが問題となる。人文学は、神ではなく人間を、自然ではなく人間の文化を、計測や計算ではなく理解や解釈という人間の試みを対象とし、Diltheyの述べるところのGeisteswissenschaftenに言い換え可能であると説明される。しかし、少なくとも今日の英語における人文学humanitiesという言葉は、学問領域と同時に学問領域の対象をも指す点や、学問分野として何を含むかに関して議論がある点で、早い時代においてのみならず今日においても曖昧さをもつ。同様に、初期近代までの科学史は、今日多かれ少なかれ堅牢だと思われる科学という概念について、その境界線はそれほど昔から続いているものではないことを指摘している。さらに、より時代を遡れば、科学と人文学の境界もはっきりとは引けない。このことは、科学と人文学の共通の歴史の必要性を示している。
本特集では、19世紀から今日まで続いている科学と人文学の区別は、両者を統合する歴史を描く試みにとって何を意味しているか、という問いを検討する。
本特集に寄せられた論考では、科学と人文学の間の区別の過程やそれらの統合の可能性を論じている。BouterseとKarstensは、19世紀後半に科学と人文学の区別がどのように決定的となったのかを調査した上で、両方にまたがる心理学に着目してその区別を再考する。KursellはHelmholtzの音楽研究を取り上げ、音楽学においては後に科学と人文学に区別されるアプローチが混在していたことを示す。Bodは情報技術における形式論formalismや様式patternが人文学に由来することを指摘し、形式論や様式のレベルにおける人文学の歴史と科学史の比較の枠組みを提案する。DastonとMostは、人文学の歴史を科学史に含み込むことへの賛否両論をまとめた上で、両者の対等な形での統合に向けて、科学史家と文献学の歴史家の協力を構想する。
人文学と科学の歴史を統合するという目標は、人文学の歴史はそれ自体で研究され得ない/されるべきでないということを意味するわけではない。人文学の歴史と科学史がどうすれば互いに実りを得られるのかを考え続けることが課題である。