2016年6月29日水曜日

科学史における本とアーカイブ Yale(2016)【Isis Focus:アーカイブズの歴史と科学史】

Elizabeth Yale, 2016, “The Book and the Archive in the History of Science,” Isis 107(1): 106115.

 科学史において科学的知識の生産を論じるにあたって、特に初期近代の博物学者や医師が、どのように自身の書類paperを整理していたかという点が近年注目されている。17世紀の学者にとって書類整理paperworkは、自分の死後にも自然哲学の営みを繋いでいくためのものだった。しかし、彼らの死後書類がどのように用いられたり価値づけられたりしたのか、また家族や周囲の人々に引き継がれていくうちにどのように変化したのかについては、これまであまり問われてこなかった。
これらの問いを検討する際に、アーカイブズの歴史を参照することは非常に有用である。アーカイブズの歴史家は、個々のアーカイブに着目し、綴込みや認証の手続きにおいて作用する力や、記録の意味・使用の変化を示してきた。しかしそこで描かれているアーカイブの歴史は、組織や国家による管理を前提としている。それと、個人による書類の管理をひとまとめにして論じることは、個々の歴史的経緯を誤解させる危険があるため、それらは分けて考察するべきである。
個人によって管理されていた書類の死後出版をめぐる以下の二つの事例は、初期近代の科学的・医学的書類の行方が遺された人々の目的や立場に大きく依存すること、さらに書かれたものと印刷物の関係を明らかにする。
まず、17世紀中頃におけるイギリスの著名な医師Culpeperの事例を検討する。彼の死後、印刷工のColeBrook、そして彼の妻Aliceは、誰が彼の遺稿を管理するかをめぐる論争に関わっていた。彼の遺稿の正当性を保証するために、ColeBrookはそれぞれ、遺稿を出版する際に、その正当性を証言するAliceの手紙を序文に載せた。一方Aliceは、遺稿の正当性を疑う人々を自宅に招き、直接面会することで正当性を納得させた。この事例では、Culpeperの遺稿が金銭的利益を生むものとして理解されている。
次に、イギリス王立協会の会員だった博物学者Rayの事例を考察する。1705年に彼が亡くなった後、彼の妻Margaretは、彼の著作や書類、書簡を、財政的援助の獲得のために用いた。それに対して彼の友人だったDaleSloaneDerhamは、遺稿を感情に結びつくものとして扱い、彼の人となりを伝えるような書簡集を出版した。Derhamは書簡集の序文でMargaretに、彼の遺稿を使用させてくれたことに対する感謝を述べているが、この序文は遺稿の正当性を保証するものとしても機能している。そして彼の遺稿は、Margaretの手を離れて彼の友人らに渡ると、その子どもや親戚に引き継がれ、最終的に博物館に売却されるなどして公的なアーカイブとなるに至った。この事例におけるRayの遺稿は、妻Margaretにとっては先程と同様に金銭的利益を生むものであった一方、彼の友人たちにとっては彼の思い出を残すものだった。
これらの事例のように、ある人物の死後、そのノートや書簡をまとめて出版する場合には、その本は一種のアーカイブといえる。出版されることで、自宅での管理による紛失や強奪を免れると同時に、時間や空間を超えて広まり、後世まで残る可能性がある。そしてその時点ではノートや書簡などの価値が不明確でも、後世の誰かにとって有用なものとなるかもしれない。初期近代においては、本とアーカイブの境界は必ずしも明確ではないのである。

そして、印刷物はそれだけでは自身の正当性を保証できず、書かれたものあるいは直接の面会を通じて正当性を確保していた。その際に大きな役割を果たしたのは、故人の妻としての女性である。

2016年4月25日月曜日

イントロダクション:概念を架橋する Davids(2015)【Isis Focus:科学史・技術史・経済史の接続とグローバル化】

Karel Davids, 2015, “Introduction: Bridging Concepts,” Isis 106(4): 835–839.

今日、科学史・技術史・経済史の3つの分野は、知識の歴史・グローバルとローカルの関係・専門家と専門的知識の役割に対する関心を共有している。しかしそれぞれの分野間のやり取りはまだ少なく、互いに理解が不足している。本特集は、三分野の境界に位置する概念を扱った論考を通じて、それぞれの専門家を結びつけ、対話を促進することをねらいとしている。
本特集の4つの論考は、中世後期から19世紀の終わりにまたがる時期、中でも特に初期近代を取り上げている。その理由は、産業革命の技術的ブレイクスルー以前に実質的な経済成長が始まっていたと考えられること、また、経済的・技術的変化の文脈の関係について、1800年以前(特に初期近代)が論争の中心となっていることである。Longは、Galisonのトレーディング・ゾーンtrading zonesの概念を、作業場で学んだ職人たちと大学で学んだ人々が交流し、互いの専門的知識を共有した場所として捉える。Popplowは、初期近代の技術に関する知識の変化をより包括的に分析するために、「形式化formalization」と「相互作用interaction」という2つの概念を提案する。Robertsは、「生産production」という概念が原料を処理する行為に加えて文化的・感覚的・調整的側面を含み、またそれらは環境によって制限されたり環境の変化の要素になったりすると指摘する。Davidsは知識がグローバルに伝播する方法や理由を理解するために、McClellanRegourdが導入した「コロニアル・マシーンcolonial machine」というメタファーと「自己組織化self-organization」という概念を用いることを提案する。

これらの概念は、知識の時間的・空間的な変化や移動を調べるための発見的道具として有用であると同時に、異なる分野間のコミュニケーションを強固にし、情報の拡散や新たな見方を助ける点で、科学史・技術史・経済史の架け橋として機能しうる。また、各論考で出されている例は主にヨーロッパ史からのものだが、提案されている概念はいずれもヨーロッパ以外の事例に対しても有用である。これらの概念は科学史・技術史・経済史の間の対話を刺激するだけでなく、それぞれの分野をよりグローバルにできる可能性をもっている。

2015年12月4日金曜日

機械的客観性:スケッチと写真、自己監視、客観性の倫理 Daston&Galison(2007) chap.3 sec.4–6

Lorraine Daston and Peter Galison, Objectivity (New York: Zone Books, 2007): 161–190.

 授業で扱った、第3章「機械的客観性Mechanical Objectivity」の後半にあたる第46節のまとめです。

スケッチ対写真 (pp.161–173)
アトラス製作者は、スケッチと写真のどちらを選ぶかという問題に直面したが、結論は出なかった。教育における実用性・自然に対する正確さ・美しさ・客観性は必ずしも両立しなかった。ライプチヒの発生学者Wilhelm Hisは、スケッチと写真はそれぞれ長所・短所をもち、相補的な関係にあると述べた。
一方、細菌学者Robert Kochは、スケッチは主観が入らざるを得ないため、写真がスケッチに取って代わるべきだと主張した。彼は炭疽菌研究の後に細菌の写真を撮る仕事に取り組み、1880年には、微生物に関する客観的知識を得るためには写真が必要不可欠だと考えた。「完全に客観的な」顕微鏡写真は、スケッチよりも染料の色が見づらかったり、影が写り込んだり、一つの面からしか見られなかったりといった欠点もあったが、それを補って余りある利点をもっていると彼は考えた。
スケッチが必ずしも主観的なものではないと考える人々もおり、例えばイェーナの医師たちは写真に対して木版画を擁護した。しかしドイツの解剖学者Johannes Sobottaは、彫刻家の裁量が大きすぎるとして木版画の使用を批判し、[元のスケッチの]写真製版印刷による複製の重要性を主張した。彼はアトラスに用いる人体の部分をスケッチし、自動式石版印刷技術で石に転写し、それをそれと同じ大きさに引き伸ばした写真と比較してチェックした。
彼は同様の方法を、組織学及び顕微解剖学に転向した後も用いた。彼は試料が偶然もっていた特徴が表現に影響する可能性を指摘し、その影響を小さくするために、複数の試料を用いてスケッチを行ったり、そのチェックに複数の試料のモザイク写真を用いたりした。このように複数の試料のモザイク写真を用いる場合、描かれるのは[個々の試料の]特徴ではなく[試料が属する集団の]理想形なのだろうか。またそのようなものを理想形と呼んでいいのだろうか。あるいは、彼が描こうとしたのは、[個々のあらゆる試料の]本質的な要素を表現した類型なのだろうか。彼はこれらの存在論的問いを無視して、複製から主観性を排することのみに注意を向けた。
個々の要素を合成して一つの像を作ることは、解釈や判断の余地が残るとして敬遠されたものの、機械的な手順で実現できる場合擁護されることもあった。イギリスの人体測定学者Sir Francis Galtonは、あるグループに属する各個人の絵をそれぞれ透明な紙に描き、それらを用いて写真乾板を感光させることで、機械的に合成されたそのグループの[典型を表す]像が得られると考えた。各個人の絵をどれくらいの時間感光させるかは科学的に決定できた。彼のこの方法は、個々の「背後の」理想形を獲得することを、主観的理想化ではなく機械的客観性に基づいた手法で可能にした。
1920年代後半になっても、客観性を擁護し個人の判断を批判する論調は強かった。ベルリンの医師Erwin Christellerは、科学者は自分ではスケッチせず、機械的方法で写真を製作できる技術者に任せるべきだが、同時に、科学者は像の製作過程に他者の意向や干渉が入るのを防ぐために規制をすべきだと主張した。写真製作の過程はこのとき特別な認識的地位に高められ、そのスケッチに対する優位性が語られたが、それは個人の判断の排除と密接に関わっていた。客観性のためには、色や画像の鮮明さなどさえもが犠牲にされた。

自己監視 (pp.174–182)
19世紀末の、図における客観主義pictorial objectivismの創出を特徴づけるのは、自己監視self-surveillance即ち倫理的・科学的な自制であった。(画家・印刷工・彫刻家などの)他者の監視は、研究者自身への道徳的命令まで範囲を広げた。[標準からの]個人の逸脱は「個人誤差」を用いて制御できる場合がある。例えば天文学において、観察者は、星が[視野内にある]観察機器のワイヤを横切った瞬間にボタンを押すことで、星の通過時刻を正確に記録しなければならなかった。そこでボタンを押すタイミングの個人差を把握しそれに応じて調整を加えることで、より正確な記録を行うことができるようにした。
個人の傾向による、よりかすかな干渉を調整するのはさらに難しい。Hermann PagenstecherCarl Genthは、自己監視は非常に難しく、それを実現する「理論的結論」「実践的結論」は存在しないと指摘した。1890年、彼らに続いてEduard Jeagerは、自己監視は認識的徳だけでなく認識的不徳の序列も指示することを主張した。彼によれば、目で見て確かに捉えられるものしか描いてはならず、何かを書き落とすことは何かを(不確かなのに)書き足すことよりましであった。
科学者の一部は、スケッチを描かないことで[主観的な]解釈を排除できると考えた。アメリカの神経科学者M. Allen Starrは、スケッチの不十分さを批判し、写真の使用を支持した一方、「個人の解釈」「スケッチ」を完全に排除することで、一定の厚さ以上のものは写真に撮れないという困難に直面した。
彼と同じく「個人の解釈」を排そうとした、ベルリンの細菌学者Carl FraenkelとスタッフドクターRichard Pfeifferは、1887年に出した細菌学のアトラスにおいて、科学におけるスケッチと写真の論争について言及した。我々はただ目だけで物を見るのではなく、理解している内容を通じて見る。スケッチはそのような理解を反映することを避けられない一方、写真は物そのものを「バイアスなく」、そしてより正確に反映する。また写真は、顕微鏡を用いて通常一人でしか見られない光景を、顕微鏡なしで他人にも見せることができるのに加えて、顕微鏡を用いた場合大まかな観察で終わってしまうところを、より詳細に探究することを助ける。しかし彼らは写真の欠点も指摘した。写真乾板は試料の一部しか捉えられず、用いる試料の厚さに限界があるために写真は単一の焦点面しか示せず、端はぼやけてしまう。また細菌の大きなコロニーは顕微鏡写真による表象[に適した大きさ]を超えてしまう。
同じくスケッチと写真の論争に言及したのは細菌学者Karl Bernhard Lehmannであった。彼は客観性を確保する目的で写真が優れていることは認めつつ、空間的な深さを描いたり、病気の診断などに用いたりする場合、スケッチの方が優れていることを指摘した。
機械的客観性は、教育的効果・色彩・厚み・診断における有用性などを犠牲にするものであったが、多くの専門家が進んでそういった犠牲を払ったことは、この認識的徳が強く彼らを惹きつけたことを示している。アメリカの天文学者Percival Lowellは、火星の「運河」の存在を立証しようと試み、1905年に火星の表面をフィルムに収めることに成功したが、その像は灰色でぼやけており複製困難なほどであった。しかし彼は、客観性のために明瞭さや複製可能性までも進んで犠牲にした。

客観性の倫理 (pp.183–190)
Cajalにとって明瞭に見ることは、科学と徳の両方にとっての目標であった。Golgiは仮定に合うように脳の網目構造を見たが、Cajalによれば、そのような「誘惑」が意志の弱い科学者を真の観察から遠ざける。Cajalは、生理学的機能からの推測と美的・理論的魅力の誘惑に屈する衝動の両方を抑制すべきだと主張した。
機械的客観性は、自然の正しい描写の営みの中にあるものの、描写の正確性と自制への道徳的忠誠を比べた場合、後者の方が優先されてきた。初期のアトラス製作者たちは画家に自制を求め、類型あるいは[個々の]特徴から発見される真実に関心をもっていた。後にアトラス製作者たちは自制を自身にも向け、また、真実の把握には介入が必要でありかつ像の修正には主観性が入ってしまうために、類型を犠牲にし、真実の理解を後回しにした。しかし全ての介入をなくすことは誰にとっても不可能であり、その意味で機械的客観性はあくまで理想に留まる。
 アトラスは類型的事象でも、類型の特徴を示す個々の事象でもなく、標準の範囲をカバーする少量の事象を示すに留まるという意味で、機械的客観性はアトラスの理想化の野望を砕いた。また、18世紀のアトラス製作者にとっては、本質的なものと偶然的なものを区別しないこと、欠陥のある見本を修正しないこと、像の重要性を説明しないことは、徳のある束縛ではなく能力の欠如とみなされた。しかし19世紀初めの数十年間で、科学者たちは、解釈と想像の高まりに気をもみ始めた。彼らはそれらの「内なる敵」を、外的にも内的にも統制しようとした。意志を統制しようとするこのような内的葛藤が、機械的客観性に道徳的な色彩を色濃く加えた。
 写真は非介入主義的な客観性の象徴とされたが、それは写真がスケッチより自然に忠実だからではなく(初期の写真よりはスケッチの方が正確だった)、人間の介入を排しているからであった。非介入こそが機械的客観性の核心であった。
 客観的像の興隆は、視覚空間に関する芸術と科学の対立を促した。1618世紀には芸術と科学は協力関係にあったが、19世紀初めに入ると、ロマン主義芸術家は意図的に[絵などに]自己[の見方]を付与することが芸術にとって不可欠だと述べる一方、科学者は像に自己の痕跡を残すべきでないという逆の主張をするようになった。写真はこの芸術と科学の論争に参入した。19世紀の優れた顕微鏡写真の専門家Richard Neuhaussは、肖像や景色の写真なら修正は不可欠だが、科学者にとって自然[を写した写真]の修正は許されないと指摘する一方で、それが理想に留まることにも気付いていた。また彼は、大抵の研究者はスケッチを他者に依頼するため、様々な主観的解釈が入り込むことは避けられないと指摘した。さらに彼は、顕微鏡写真が客観的に対象を反映する以上に、対象以外のもの(光の多寡や回折など)を反映しうると主張した。

そして20世紀に入ると、機械的客観性に対する信用は崩れていった。客観性はあくまで理想に過ぎず、完全には実現不可能だと考えられるようになった。1872年の演説でRudolf Virchowは、主観性を完全に排することは不可能だったと告白しているが、20世紀初頭の多くの科学者たちも同様の結論に至った。その後、主観性の必要性を認める人々もいれば、客観性を追求する領域を数学や論理学に移す人々もいた。

2015年11月27日金曜日

発見的医学:方法学派とメタレプシス Webster(2015) 【Isis Focus:限定合理性と科学史】

Colin Webster, 2015, “Heuristic Medicine: The Methodists and Metalepsis,” Isis 106(3): 657–668.

科学的実践としての限定合理性(pp.657658
本稿では、古代ローマで栄えた医学の一派である方法学派Methodistを取り上げ、自覚的に限定合理性を採用した科学はどのように見えるのか、そのような科学の営みにはどのような認識論的問題が現れるのかを考察する。方法学派の特徴は、病気の原因の説明を拒否し、代わりに「明白な共通の姿manifest commonalities/phainomenai koinotêtes」に基づき医学において発見的方法heuristicsを用いた点である。
まず、方法学派が明白な共通の姿を用いてどのように実践的医学を打ち立てたのかを描写する。次に、方法学派の非因果的科学が抱えた困難を3つ挙げる。最後に、発見的方法がメタレプシスmetalepsisと呼びうる存在論的ずれを引き起こすことを説明する。

方法学派と発見的方法(pp.658–661
方法学派は、ラオディケアのテミソンによって紀元前1世紀頃創設され、トラレスのテサロスによって完成されたギリシャ医学の一派であり、300年以上にわたっておそらくローマで最も支配的であった。彼らは、患者の過去の症状との類似性に基づいて治療を行う経験学派Empiricistを当て推量にすぎないと批判し、病気の原因の説明を試みる教条学派Dogmatistを、人間の知識の限界を超越した実体(体液や原子など)を前提としていると論難した。彼らにとってそのような「隠された原因」の推測は医学の範囲外で、役に立たないものであった。彼らは、全ての病気は3つの「明白な共通の姿」(緊張、弛緩、混合)の表現形式であり、未知の体内の状態を仮定することなく、明白な共通の姿を直接理解できると主張した。
経験学派と教条学派はどちらも、体の特徴や病気にかかる前の環境が潜在的に病気に関係していると考え、それらを知ることには終わりがなかった一方、方法学派は人間の知識の限界に応じて明白な共通の姿を設け、因果的説明を新たなメカニズムに置き換えた。さらに彼らは診断だけでなく治療の決定も単純化した。それぞれの共通性はその治療を指示するので、治療の選択は単なる当て推量ではなく理性による演繹的行為であった。このように、発見的方法に似た明白な共通の姿は、安定した知識をもたらし、医学を単なる技術ではなく科学に分類するのを正当化した。

実践における発見的方法(pp.661–662
方法学派は、実用的な方法も手伝って、直観的で詳細な医学システムを作り上げた。彼らは病気を慢性と急性の疾患に分け、病気の進行を4つのプロセス(初期、増大、発作、減退)に区切り、それぞれの段階に合わせて治療を考え、また新たな薬理学的治療も考案した。明白な共通性は3つのみだったが、方法学派はそれ以上の数の治療法をもっていた。
さらに明白な共通性を用いることで、より経済的利益を上げやすくなり、[医師の]訓練期間も短縮された。また、ギリシャ語話者である方法学派がローマの患者を診る際の言語的・文化的障害も少なかった。

存在論的危機(pp.662–665
非因果的医学はまず、原因が知りえないとしたら病気とは一体何か、どう定義し同定するのかという問いに直面した。これに対して方法学派は、病気を、体によって経験される[病気の]結果と極めて近いものと捉え、基本的なカテゴリーを「病気disease/nosos」から「疾患affection/pathos」に変化させた。しかし、明白な共通の姿は3種類しかないのに、いかにして3つ以上の病気が存在しうるのかという問いが残った。症状symptomは病気と対応しているわけではないためその同定には使えない。よって方法学派は、一つの病気に対して必然的かつ特有の繋がりをもつ「徴候群sign-sets」を導入した。だがここでも、そのような徴候群は明白な共通の姿が元々担うはずだった役割を奪ってしまうという問題が生じた。さらに、徴候群はそれ自体で理解できるものだと考えられているが、誰もが訓練なしに明白な共通の姿を理解できるならばディシプリンとしての方法学派は必要なくなってしまう。テサロスは、共通の姿は直接目に見えないが、指示的特徴indicative featuresを示すと考えた。だがもし指示的特徴によって明白な共通性が推測できるならば、共通の姿は隠された原因に接近することになる。
カテゴリーの区別が抱えたこれらの困難は、原因から結果への、また結果から原因へのずれを生じさせながら、方法学派の医師たちの間に様々な意見の相違をもたらした。原因論を拒否することによって、方法学派は病気のカテゴリーを不安定化させ、知りえない原因と階層化された結果の間に新たな理論的機構を組み立てる必要にさらされてしまった。

メタレプシス(pp.665–667
方法学派の、発見的方法に似たアプローチが抱えた困難は、メタレプシスという言葉で要約できる。ここでいうメタレプシスとは、共通の姿、疾患、症状、徴候などが混同されて言葉が置き換わること、つまり存在論的ずれが生じていることである。
方法学派の発見的方法は、メタレプシスで要約できる理論的問題だけでなく、患者が原因と結果という枠組みで考える世界で機能する必要があったという実用上の問題も抱えていた。実際、明白な共通の姿を疾患などの原因と想定するのは容易であり、偽ガレノスは明白な共通の姿を偽装された原因だと論じた。方法学派の中には原因論を受け入れていた者や、目に見える結果を用いて隠された共通の姿を推測する者さえいた。彼らは因果的議論に取って代わるはずだった発見的方法を、原因論に類するものとして定立させた。

結論(pp.667–668
方法学派の事例は限界の限界を示している。彼らは人間の知識の限界を受け入れ、医学の領域で確実性を模索するための新たな理論的道具を据えたが、発見的医学が抱えた困難によって彼らの限定合理性は不完全なものになった。彼らの認識論は複雑で微妙な差異を含んでいたが、多くのメタレプシスの例を示した。発見的方法は、実践的問題を解決し世界の正確なモデルを作れるが、潜在的に理論的複雑性を導入し、原因と結果の間に新たな存在を創り出してしまう。

2015年11月5日木曜日

どんな理論的対象が実在的なのか ハッキング(1983=2015)第2章

イアン・ハッキング『表現と介入』渡辺博訳、筑摩書房、2015年、7995ページ。

 読書会で担当した部分のまとめです。

2章 基礎単位となることと原因となること

イントロダクション
「実在的[本物]」という言葉は、自然科学においてどんな用法をもっているだろうか。この言葉で満ちている実験にかんする談話を二つ挙げよう。一つは細胞生物学において、標本にした細胞の顕微鏡写真に規則的に見られる繊維の網は本物ではなく、標本に生じた人為構造であると述べるものである。もう一つは物理学における自由クォークが(批判的な人々から見れば)本物ではなく、これまで知られていなかった新しい電磁力であると述べるものである。
では「実在的[本物]」とは何を意味するのだろうか。JL・オースティンは最も優れた簡潔な考察を行っている。彼の『知覚の言語』の第7章で述べられている方法論上の規則は、「われわれは「本物のクリームではない」のようなさり気ないおなじみの言い回しをことさら蔑むことさえないものとして片づけてしまってはならない」というものと、「単一の、明確に述べることのできる、常に同一な意味」を捜してはならないというものである。即ち彼は、言葉の使用のなかにある規則性を体系的に研究することを要求する一方、同意語を捜すことのないよう警告する。また、彼の「実在的[本物]」という言葉にかんして4つの観察を行っているが、そのうちの2つは特に重要である。1つ目は、「実在的[本物]」という言葉は名詞欲求型である、即ち「それは本物だ」という言葉を適切に理解するには名詞が要求されるというものである。2つ目は、「実在的[本物]」という言葉は否定主導語である、即ち「本物のS」の意味は「本物のSではない」という否定形に由来するというものである。「本物の」という言葉は文脈によって何を否定するかが変わるが、それは「本物の」という言葉が曖昧なためではなく、「本物の」という言葉の意味が、修飾している名詞に依存するためである。「本物の」という言葉が様々な仕方で用いられていることのみを理由に、様々な種類に実在があるに違いない、と考えられがちだが、「本物の」という言葉自体は、名詞が変わっても多義的な意味をもつわけではないのである。
以上を踏まえて、特に専門化した議論においては「実在の[本物の]」という言葉でどんな対照が考えられているのかを明らかにする必要がある。では、理論的対象が本物の対象である/ないとすれば、そのときどんな対照が考えられているのだろうか。

唯物論
JJC・スマートは『哲学と科学的実在論』(1963)で前述の問いに応じている。彼によると反実在論者は、電子を恒星、惑星、山、家、テーブル、砂粒、微細結晶、細菌[などの実在的と考えられる対象]とは別物だと主張しているが、それらは突き詰めれば電子からできているため、したがって反実在論者は誤っている。また「実在的」という言葉はある対照を指定しなければならず、またすべての理論的対象が実在的であるわけではない。例えば彼によれば、磁力線は実在的ではない。一方、力線という概念を最初に考案したファラデーは、晩年、力線が実在的だと考えていた。このことは、実在にかんする考えには、[スマートが考えていたような]基礎単位building blockという水準を超えているものもあるという事例を示している。
スマートは、物理的なものは電子などからできているという考えに基づいている点で唯物論者であるといえる。一方、バークリーは反唯物論者であり、またファラデーは唯物論者ではない。
ベルナール・デスパーニアの『物理的実在』には、唯物論者にならずに科学的実在論者でいられるという論証がある。即ち「実在的」という語においてスマートとは別の対照を指定できると述べている。またスマートの区別は、社会科学や心理学の理論的対象が実在的であるかを論じるのには役立たない。チョムスキーは『ことばと認識』(1980)で認知心理学における実在論を主張しているが、彼は脳が組織化された物質でできていることだけでなく、それが思考という現象の「原因」となることも考えている。この「原因」という言葉は、科学的実在論の別の解釈を促す。

因果主義
類比的に、実在的なものの因果的な力を強調する者を因果主義者と呼ぶことにする。ここで2つの事例を挙げる。アメリカ産科婦人科学会は、生理用タンポン使用と中毒性ショックの間にある連関があることは認めたが、原因と結果の明確な関係があるとは認めなかった。また、核弾頭を装備したミサイルが化学的爆発を起こした後、近隣の村民が体調不良に悩まされたが、アメリカ空軍は原因と結果の関係を否定した。これらは、われわれは相関関係を完全に否定することを相関関係の断定から区別すること、また相関関係を原因から区別することを示している。因果主義者はこの部分を特に重視する。
ナンシー・カートライトは因果主義者であるといえる。彼女によれば、あるタイプの出来事がある結果を生み出すという理解の明白な証拠は、ある種類の出来事を別の種類の出来事を生み出すのに用いることができることである。さらに、何かを実在的だと呼び得るのは、それが基礎単位だからではなく、因果的な力をもつからである。例えば電子や陽電子は、ニオブの小滴に吹きつければ電荷を変化させることができるため実在的といえる。この見方に従うと、ファラデーは非唯物論者かつ因果主義者といえる。

対象であって理論ではない
ここで、対象にかんする実在論と理論にかんする実在論を区別する。今まで登場した唯物論者も因果主義者も、対象について述べていた。
前述のカートライトは、理論にかんしては反実在論者であり、対象にかんしては実在論者であるといえる。彼女曰く、諸々のモデルや理論は、現象を理解し実験場の技術を組み立てるのに役立つ知性の道具であり、諸々の過程に介入したり新しい現象を作り出したりできる。しかし厳密に真なる法則は存在せず、諸々の結果を生み出すのは電子など[の実在的なもの]である。これは、ヒューム以来の経験論の伝統に対する驚くべき反転である。そのような伝統においては、実在的なのは規則性だけだからである。
このような反転の可能性はヒラリー・パトナムに多くを負っている。彼によれば、理論語が特定の理論から意味を得るという観念を拒否し、現象によって事物の観念を定式化することは可能である。また、理論的対象を用いてはじめて事を行うことができるようになる。そして、理論的対象にかんする様々な説明はどれも、自然に介入する際に実際に用いることができる因果的な力を記述する。

物理学を超えて
因果主義者は[唯物論者と異なり]、超自我や後期資本主義[などの、社会科学や心理学における理論的対象]が実在的かどうかを考察できるが、それらについての因果的理解はもち合わせていない。また因果主義は、社会科学にとって未知のものではない。マックス・ウェーバーは理念型の学説を抱いており、「理念的」という言葉を「実在的」と対立するものとして用いている。ここでいう理念とは、人間精神の創案であり、思考の道具である。ウェーバーがマルクスについて考察している記述から、次のような教訓が得られる。①スマートのような唯物論者は、社会科学上の対象の実在性に直接的な意味を与えることができない。②因果主義者にはそれができる。③因果主義は実際には理論的社会科学のどんな対象の実在性も拒否するかもしれない。結果的に唯物論者と因果主義者は同様に懐疑的かもしれない。④理念型にかんするウェーバーの学説は社会科学上の法則に対して、否定的な形で因果主義的態度をとる。例えば、マルクスの理念型は因果的な力をもたないため実在的ではないと主張する。⑤因果主義者は、ある物理科学は因果的性質がよく知られている対象を見出しているが、ある社会科学は見出していないという理由で、後者を前者から区別するかもしれない。
少なくともある科学的実在論では「実在的」という言葉をオースティンとほぼ同様に使用できる。前述のように、スマートにとって対象とは基礎単位となるためのものであり、カートライトにとって対象とは原因となるためのものである。両者はいくつかの対象にかんして科学的実在論者だが、「実在的」という言葉を異なった対照をもたらすものとして用いているため、両者の「実在論」の内容は異なる。次に、同じことが反実在論でも起こっていることを見ていく。